第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(28)

 サンピンの8が出てきたら、1プラス8の9でプレイヤー側は負けるのだから、本当は「なんでもええ」わけがなかろう。

 8のカードが現れる確率は13分の1。

 絶対に起こらない、とは決して言えないのだが、まず起こるまい、と信じる。

 でも確率がゼロとならない限り、「まず起こるまい」という事象がよく起こるのが、ゲーム賭博であった。

 このクーを失ってもすでに準優勝賞金400万HKD(6000万円)を確保した山段の強がりだったのか、それとも心中に湧きおこった「惧(おそ)れ」の裏返しだったのか。

 ディーラーによってゆっくりと斜め脇にずらされていくカードの右上隅に、ダイヤのスートゥが姿を現した。

 脚がある。

 百田と山段の顔が、赤黒く膨れ上がっていく。

 爆発寸前まで、空気が注入された。

 ちょっと針を刺したら、破裂してしまうのだろう。

「テンガァッ」

 と百田の気合い。

 二段目にも影が現れれば、それはセイピン(9か10)のカードであり、そこで山段の優勝、百田の準優勝が決定する。

 ところが、二段目は「ヌケ」ていた。

「チョイヤアァ」

 と百田。

 山段のそれが不発だったので、今度は百田の気合いだった。

 中央も「ヌケ」ていれば、それはリャンピン(4か5)のカードで、同じく優子は即死。

「テンガ(点がつけ)」の次が、「チョイヤ(点が飛べ)」なのだから、打ち手たちも忙しい。

 そりゃそうだ。賞金総額1200万HKD(1億8000万円)が懸かった勝負なのだから。

 カードの横中央に、影が現れた。

 つまりサンピン(6か7か8)である。

「アイヤァ」

 と、膨らみきった風船から、すこしだけ空気が漏れた。

 勝ち・負け・タイ、なんでもありの展開だ。

 ディーラーが、1ミリの数分の1ずつ、重ねたカードをずらしていく。

 じらすように、責めるように。

「ついてっ!」

 と優子の悲鳴にも似た叫び。

 両手で覆ってはいるけれど、眼はしっかりと見開き、指の間からすこしずつ起こされていくカードを凝視しているのであろう。

 勝負を決するカードのスートゥはダイヤなのだから、「花が咲く(=向く)」方向は無関係となる。

 これがサンピンでもハート・スペード・クローバーのスートゥであれば、「花が咲かない」方に影が現れれば、8と確定するのだが、ダイヤでは「花が咲く」「花が咲かない」両方向を確認しなければ、6か7か8のカードかわからない。

 決勝卓を包む緊張は、極限に達した。

 その緊張に耐えられなくなったのか、

「もういい、一気に行け」

 と山段が日本語でディーラーに命じた。

 ディーラーの少女が、眼で優子と百田に問う。

「行け」

 と百田。

 かすかに頷く優子。

 やはり優子は指の間から、展開を凝視していたのである。

「では」

 とディーラー。

 鬼が出るか、蛇が出るか。はたまた天国の真珠門(パーリー・ゲイト)が開かれるのか?

 バンカー側のカードを押さえていたディーラーの細い指先が、3センチほど真横に動いた。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。