ばくち打ち
番外編:カジノを巡る怪しき人々(2)
「井川のアホぼん」と「サンユーさん」
「井川のアホぼん」は、マカオのジャンケット業者へもかなり焦げつかせているようだ、と今回の取材旅行では聞いた。
ことの性質上、裏は取れない。でも、そうだろうな、とわたしはまたまた哀しく邪推する。
ゲーム賭博の仕掛ける罠は、強烈だ。
はじめの頃は、誰もが自分を制御できている、と考える。
ある日、ふと目覚めると、泥沼の中にすっぽりと嵌まり込んでしまった自分を発見する。
こうなったら、もう自分の意志では身動きがとれない。
ずぶずぶに嵌まり込む。
冥府魔道(めいふまどう)・阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄が待ち受ける。
そしてここは重要なのだが、自分が地獄に堕ちていくことを、本人は自覚しているのである。
堕ちつづけながら見る地獄とは、結構楽しいものなのだ。
じつは、「井川のアホぼん」とそっくりな人が、過去の日本に存在した。
新宿から小田急線の白い電車に乗ると、20分ほどで狛江(こまえ)市に着く。人口7万6千人ほどの、世田谷区に隣接する東京都下のちいさなサテライト都市だ。
1960年代の高度成長期を迎えるまで、この一帯には馥郁(ふくいく)たる下肥(しもごえ)の香が漂っていた。
急激な経済成長を背景として、都心への通勤圏内であるのどかな田園風景は、やがて高価な宅地に化ける。
さて、そんな狛江市でも名門だったのが、石井家。大地主である。
その頃の当代は、三雄(さんゆう)さん。
石井三雄は、四期連続で市議に当選し、1981年には請われて市議会議長も務めた。
狛江市長選に保革相乗りで出馬したのが、1984年のこと。
これも余裕で当選し、以降三期にわたり、市長職を務める。
つまり、石井家といえば、地元では折り紙つきの名士中の名士だった。
そんな現職市長が、1996年6月12日、突然記者会見を開き、市長辞任を発表すると、記者会見場からそのままその脚で失踪した。
失踪当時、65歳。
分別をしっかりとわきまえた(はずの)いい歳したじじいである。
しかも三雄市長は、お金持ちさまだった。
それも、そんじょそこらに居る小金持ちたちとは、わけが違う。
農地の一部を宅地用に切り売りすれば、簡単に10億円単位の金が転がり込んでくる。その頃の時価で、資産100億円は下らないだろう。地元では、そう噂されていた。
そんなお金持ち市長が、突然失踪した。
そして、失踪後の市長私宅前には、白いメルセデスが列をなす。
主なき豪邸には、「債権者の代理人」を名乗る人相悪しき男たちが、十数人泊まり込んでいた、と報道された。
大資産家のはずだったが、土地はすでにほとんど売り払われ、残っていたのが、推定で30億円から50億円の借金。
裏社会の事情通によれば、およそ2年ほどの間に、ざっと見積もって150億円を、バカラ卓に張られたグリーンの羅紗上で溶かしたのではなかろうか、となる。
東北の山の中のお寺に隠れていたところをジャーナリストに発見され、三雄(さんゆう)さんが吐いた台詞が記録されている。
「それでもバカラは、最高のゲームです」
まったく、反省がない。
立派だった。
「井川のアホぼん」が嵌まったバカラとは、そういう「鬼畜のゲーム」である。
負けた人には、どんどんと金を出して打たせる
14泊に及んだ「マカオ取材旅行」を前後に分けるようにして、途中、わたしは数日だけ日本にもたち寄った。
東証一部上場企業がひっくり返るかもしれない「井川のアホぼん」の件は、さすがに話題となっていたので、わたしの東京滞在を知ったジャーナリストからの取材を受けた。
そうしてできたのが、さかあがり記者による『日刊SPA!』に掲載された記事だった。
https://nikkan-spa.jp/83041
そこでわたしは、
(マカオの)「ジャンケット業者には『負けた人にはどんどんカネを貸して打たせる』という特徴がある。なぜならジャンケット業者は、客が勝った金額も負けた金額もハウスと折半する決まりとなっているから。客が負けてくれればくれるほど、ジャンケット業者の実入りは大きくなる」
と述べたことになっている。
これは、さかあがり記者による、わたしのコメントのほぼ正確な引用である。
なぜ「ほぼ正確」かと言うと、マカオのジャンケット・ルームでは、サブ・ジャンケット、サブ・サブ・ジャンケット、さらにその下位に位置するサブ・サブ・サブ・ジャンケット……、という具合に連鎖していくから、同一のジャンケット・ルームの業者でも、必ずしもその利害が一致しているとは言い難いからである。
「勝ち負け折半」で契約する最上位のジャンケット業者(多くの場合「部屋持ち」)は、打ち手が負けることを望んでも、「パーセンテージ」契約を結ぶ下位の業者は、打ち手が勝つことを望む。当然だが勝っていれば、ロール・オーヴァーが巨大となる場合が多いのだから。
そこいらへんの複雑な事情は、『ばくち打ち』第二章で、よく説明したと考える。
またそういった複雑な事情を、短い記事の中ですべて説明することは不可能なので、さかあがり記者は省略したのだろう。
取材された側のわたしとしては、上記の記事は文章に無駄もなく、よくまとまっていた、と感じる。
と、と、ところが……。