第550回 12月14日「PCエンジンの時代 その3 (1989)」
―[渡辺浩弐の日々是コージ中]―
・『PCランド』スタート時、「ゲームの紹介さえちゃんとしていれば、あとは何やってもいいですよ」と、スポンサーは言ってくれた。ところがテレビ局や制作会社のスタッフはこの言葉の後半しか聞いていなかったようだ。ゲームのことを知らないだけでなく全く勉強しようともしないのは本当に困った。
・はっきり言ってしまうと、スポンサーがついたから番組は始まったが、TV側の人たちはゲームというものをあきらかに馬鹿にしていたのだと思う。そういう時代だったのだ。
・ディレクターはスーパーマリオもやったことがない人で、スタジオでも平気でPCエンジンのことをファミコンと呼ぶのである。放送内で誤解があったら困るからこれはファミコンではなくて、と言うと「だからNECのファミコンだろうがうるせーな」とキレる。この人は「一切ゲームやったことがない俺だからこそ、ゲームを知らない視聴者のための番組が作れるんだよ」という謎理論を押し通した。
・僕はゲーム担当の構成作家として現場に入ったのだが、ハドソンをはじめ各ゲームメーカーとのコミュニケーション、そしてゲーム紹介部分の動画作成・ナレーション原稿作成、などの全てをみることになった。ゲームについてもゲーム業界についても全くわけがわからない制作側は、ゲームに関わる部分は全て任せると言った。だからこれ幸いと勝手にやってしまうことにした。
・僕は当時ゲーム情報ビデオの制作と並行して、色物のプロゲーマーをたくさんでっちあげていた。その中から、テレビに出られるぎりぎりの狂人たちを選んだ。オネエのゲーマーコンビ「歌舞伎町シスターズ」、延々とカレー食いながらゲームプレイする「インドマン」そして白ブリーフ一丁でカメラをかついでゲーム実況する「ブリーフマン」の3組だ。こいつらを引き連れて、第一回の収録スタジオに入った。
・収録が始まったが、こちらが用意した企画書を、現場を仕切るはずのプロデューサーもディレクターも全く目を通していないことは明白だった。その内容は。
「歌舞伎町シスターズが股間でプレイする『ドラゴン・スピリット』」
「ブリーフマン『はにい・いんざ・すかい』目隠し攻略失敗したらブリーフぬいじゃう!」
「激辛マニア高橋名人リスペクト! インドマン100倍カレー食いながらクソゲープレイ!」
……こんな感じだった。
・「ゲーム業界ってのはとんでもないところなんだな!」と司会の大竹まことさんも盛り上がり、スタジオは終始大爆笑の渦に包まれた。伝説に残るゲーム番組ができたぞ! と手応えばっちりで終了した。
・ところが帰ろうとしたら、モニタールームでスタジオ映像を見ていたテレビ東京のお偉いさんが怒鳴り込んできた。ふざけすぎだ、全く意味がわからん、とのことだ。いやそれは百も承知だけど、なら企画の段階で言ってよ!
・というわけでそれから全てを撮り直し、ってことになった。歌舞伎町シスターズとブリーフマンはともかく、割とメインで進行役をやってもらっていたインドマンまでが「インド人差別だ」とか言われて出られなくなった。それで急遽、僕が出演することになったわけである。
・それから3年間この番組に出演者としても関わることになった。これはとても面白い体験だったし、長続きするにつれスタッフも入れ替わり、熱心な人も入ってきた。ただし「ゲームの紹介さえちゃんとしていれば、あとは何やってもいい」……その「ゲームの紹介」のところはいつまでも僕一人の責任のままだった。ゲームコーナーの台本には「渡辺 ゲーム紹介」とだけ書かれ、あとは白紙だった。
・当時『PCランド』はマニアからは「ゲーム番組なのにゲームの紹介が少ない」と非難されたが、僕は僕なりに必死にやっていたのである。スタジオではいろいろなバラエティー企画を収録後ディレクターに「おつかれさまでーす、これで終了ですが、すみません最後にちょっとだけエンディングコーナー撮りまーす」と邪魔くさそうに言われてからゲームコーナーが始まる。早く帰りたいスタッフの舌打ちを聞きながら僕は(時にはアバラが折れて肺に突き刺さっていたり、パイまみれになったりしてる状態で)ゲーム解説を行っていた。
・ゲームの映像については時には各メーカーまで機材をかついで伺って収録する作業も行っていた。そうやって仕上げた映像を尺あわせのためにセンスなくざくざくカットされることがよくあり、これだけは真剣に腹が立った。
・ただし、そんなテレビに映らないところでの作業……最新ゲームを収録するためにゲーム制作現場を回る体験が僕にとってはとても有意義だった。たとえばCD-ROMのおかげで容量のたがが外れることにより、ゲームは映画や音楽のノウハウを取り込みながらの進化も始めていた。そんな可能性にかけ日夜を徹している多くの若いクリエーターと会うことができたのだ。
・彼らはそこで、その後のゲーム文化を支える傑作を生み出していた。その肉声をできるかぎり番組内で紹介することをがんばっていたが、これもテレビのスタッフにはなかなか理解してもらえなかった。自分の制作しているビデオソフトの中で紹介させて頂いたりもした。ネットがあれば違う展開があったかもしれない。
・『PCランド』は視聴率10%を維持する人気番組となったが、視聴率が最も高かったのはいつも後半のゲーム紹介コーナーだったのである。ところが……(反響があればつづけます)。
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作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。
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