第548回 12月7日「PCエンジンの時代 その1 (1987)」
―[渡辺浩弐の日々是コージ中]―
・『PCエンジンmini』の発売を記念して、往時のことを書きとめておこうと思う。……そしてこれまで一度も語ったことがない「『PCランド』幻の第1回」についても、歴史にとどめておかなくてはなるまい。
・1987年。ゲームはまだ、わけのわからないものだった。ゲームセンターは不良が行くところだと思われていた。スーパーマリオが世界を席巻しても、ドラクエ発売日の大行列がニュースになっても、ファミコンは大人たちには「変なおもちゃ」として扱われていた。
・その理由はいろいろ考えられるが、例えばゲームがいつまでも玩具流通でしか扱われていなかったことは大きいと思う。ファミコンのハードとソフトという、高価格でありながら無茶苦茶に(100万個単位で)売れてしまう商材が、おもちゃの流通ルートをむりやり拡大する形で流されていたのだ。
・あるいは、ゲームの魅力を一般層に知らせてくれるテレビ番組や一般雑誌が少なく、ゲームについて知るにはゲーム専門誌を見るしかないというタコツボ状態が続いていたこと。バブル時代、マスコミの人たちがすっかり頭パー状態になっていたからだ。ソフトスーツのおじさんたちは六本木のバーでボディコンの女をカウンター隅に追い詰めることばかりにかまけていて、ゲームという新しいメディアの意味について考えようとも学ぼうともしなかった。
・PCエンジンがリリースされたのはそんな時期であり、ここからしばらくの間は主勢力のファミコンvs対抗勢力のPCエンジンという構造が続く。セガは? と聞かれそうだが、同社は当時あくまでも業務用機に主力を注いでいて、家庭用機に本気になるのはこの後ソニーが参入してきてから(1994年〜)のことだ(そこから任天堂・ソニー・セガの3社による苛烈なシェア争い……俗に言うニューハード戦争……が始まるわけである)。
・つまり「任天堂一強時代」と「ニューハード戦争時代」の隙間に、数年間だけどちょっと変わった時代があった。バブル絶頂期と重なったこともあって、この頃(あえて「PCエンジンの時代」と呼ぶ)の業界はあまりにも面白かったのである。十分にマーケットを確保していた(全世界で1000万台)にも関わらずPCエンジンが後継機につながらなかったことは、この「面白すぎた」ことが大きな理由だと僕は考えている。
・ニューハード戦争の印象が強すぎて見逃されがちだけど、ゲームの大容量化による劇的な進化が本格的に始まったのは実はこの時期なのだ。例えばゲーム業界とアニメ業界とのファーストコンタクトなど、面白い現場をたくさん目撃したものだ。
・PCエンジンが一瞬だが激しく輝いたその理由は、いくつか挙げられる。まず、多くのゲームメーカー、ソフトハウスが当時抱えていたストレスを開放したからだ。
・ストレスというのは、まず、タイトル数についてだ。ファミコンソフトは出せば売れる時代が続いていたが、市場が荒れることを警戒した任天堂は、ほとんどのソフトメーカーに、年間タイトル数の制限を課していた。どのメーカーもアイデアはたくさんあっても採用されるのは安全パイの企画ばかりであり、若い、意欲的なクリエーターの新しい企画はなかなか形にならなかったのである。
・少なくとも開発の現場は、ゲームという新しいメディアの可能性にわくわくしていた。もっと作りたい、作らせろ! そんな声を当時よく聞いた。
・次にスペックの問題。。ファミコンのブームはあまりにも長く続きすぎていた。1987年時点では発売後4年、ハードウェアとしては二世代か三世代前のものになっていた。そのスペックに合わせてゲームを作らざるをえないことも、クリエーターにとっては大変なストレスになった。
・その一方で、アーケードゲームが劇的に進化していた状況があった。当時ファミコンブームの裏側でゲームセンターも好調だった。そこにも多くの傑作が生まれていた。『魔界村』『ダライアス』『ファンタジーゾーン』『沙羅曼蛇』『R-TYPE』『妖怪道中記』……ゲーム史に残る傑作が毎月のように登場していた。しかしながらこの頃になるとアーケードのヒット作をファミコンにもってくることが困難になっていた。
・家庭用に出せば間違いなく大ヒットする。しかしファミコンの古いスペック上では再現できない。そういうゲームがとても多かった。ナムコの『源平討魔伝』がファミコン移植された時、すごろくゲームになり、添付のマップやコマと一緒にプレイするものになっていたことは象徴的だ。
・つまり1987年当時は、儲かっていて、そしてまだ若くて元気で新しいことやる気まんまんだったゲーム業界が、任天堂に感謝しつつも少なからず「ファミコン疲れ」していたタイミングだった。ユーザー側も同じような気分だったんじゃないかと思う。そこに出てきて、一定のマーケットを獲得したのがPCエンジンだったわけである。つづく。
※『PCエンジンmini』のプロモーションビデオのナレーションを担当しましたよ。30年タイムスリップしました〜 ↓
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。
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