「疑われてるみたいで気分が悪いよ」――46歳のバツイチおじさんはデート中に怒りをあらわにした〈第22話〉
エラ「プノンペンで英語習ってるの?」
俺「うん。1時間8$で4時間のマンツーマンレッスンを受けてる」
エラ「4時間も。すごいね」
俺「セブ島のスパルタ学校に比べれば大したことないよ。この間、カジノで500$勝ったからそのお金を英語の勉強に充ててる」
エラ「…どうしてプノンペンで英語を習おうと思ったの?」
俺「……あー、エラと出会って、英語で話するじゃん。でも、なかなかお互いに理解できないのがもどかしくて」
エラ「……」
俺「エラのことをもっと深く知りたいから英語を習ってるんだよ」
エラ「……」
軽い告白みたいになってしまった。
しかし、日本語だと恥ずかしくて使えないような言葉も、英語ならすんなり言えてしまう。
俺は英語の表現をあまり知らないから、シンプルでわかりやすく伝えようとすると、どうしても直接的な表現になってしまう。それとも、俺の中に潜む「心の中の二枚目」が、英語だと殻を破って飛び出してしまうのかもしれない。
いずれにせよ、俺はエラに期せずして告白めいたことを言ってしまった。
エラ「……嬉しい。今日は2人の英語、通じるもんね」
おーーーーーーー!
なんかうまくいってる!
プノンペンに来てよかったーーー!
エラの顔を見るとほんのり赤くなり、艶っぽい。
大人の女の顔に変わっている。
これはどう贔屓目に見ても、かなーーりいい雰囲気だ。
これは恋?
たぶん恋?
俺の心は高鳴った。
俺「…エラ」
エラ「…ん」
俺「…あの」
エラ「……」
恋の衝動を言葉に変えようとしたが、悲しいかな言葉が出てこない。
心の中の二枚目が、土壇場でビビり始めている。
ダメだ。このチャンスは絶対に逃がしたくない!
俺はエラの目を見つめた。
エラは俺の目をじっと見つめていた。
その瞳は少し潤んでいるように見えた。
俺「あのね。俺……」
エラ「……」
俺「…あ、あれ…だれだ?」
後ろのカウンターに1人に見慣れた男が座っていた。
トゥクトゥクドライバーだ。
「あいつ、あの階段登って5階まで来たんだ。店の名前も知らないはずだから5階までの店、全部探してきたってことか! なんなんだよあいつ、めちゃくちゃ怪しい!!」
俺は結構カチンときた。
そして、感情にまかせ、ついエラにこんなことを言ってしまった。
俺「なんなの、あのトゥクトゥクドライバー? もしかして、エラのボディーガード? 俺、そんなに怪しい?」
エラ「……違うの」
俺「違うって何が違うの? もしかして彼氏?」
エラ「違うの。彼はただのトゥクトゥクドライバーよ」
俺「じゃあ、帰ってもらうように話ししていい? お金はここで1日分払うよ」
エラ「……」
俺「じゃあ、彼と直接、話するね」
エラ「ちょっと待って」
俺「じゃあ、彼と一緒に帰れば?」
エラ「……」
俺「だって、疑われてるみたいで気分が悪いよ」
エラ「……」
かなり大人げないことを言ってしまった。でも、本音である。
エラは下を向き、しばらく押し黙っていた。
やがて、俺の顔を見て、目を潤ませながらぽつりぽつりと喋り始めた。
エラ「私、お店から1時間くらい離れたとこに住んでるの」
俺「うん」
エラ「私、会計士の学校に通ってるから、お金節約してるのね」
俺「……」
エラ「節約のため安いバイクを買ったの。それで通ったほうが節約できるから」
俺「……」
エラ「……2ヶ月前、お店が終わった朝5時にバイクで家に帰ってたの。で、信号待ちしてたのね。そしたら、10人組ぐらいの男たちが私を襲ってきたの」
俺「……え?」
エラ「私をバイクから引きずり下ろして、ボコボコに殴られたの。私、抵抗したら殺されると思ったから、もう、すべて彼らの言う通りにしたの。だけど、私のバックや時計を全部取り上げられて、最後はバイクも一緒に盗まれたの」
俺「……」
エラ「……それから…怖くて…怖くて」
エラは涙を流した。
エラ「その時、あのトゥクトゥクドライバーが助けてくれて、家まで送ってくれたの」
俺はトゥクトゥクドライバーの顔を見た。
よく見ると本当に気のいい、優しそうな目をしている。
俺は「レイプまがいのことはされなかったの?」と聞こうと思ったがやめた。
エラ「それから彼、ずっと無料で私を送り迎えしてくれて」
俺「……」
エラ「それで、申し訳ないから最近は安い金額を払うようにしてるの」
俺「……じゃあ、今日も彼、心配してるのかな?」
エラ「わからないわ」
俺「……」
しばらく沈黙が続いた。
雑居ビルの下にあるクラブから「ドンドンドン」という大きな音楽が鳴り響いている。
時計を見ると11時30分を回っていた。
彼女を家まで送るには、あのトゥクトゥクドライバーに頼むのが一番安全だと判断した。
俺「……帰ろうか」
エラ「……うん」
俺はトゥクトゥクドライバーに今日1日の金額とエラの帰りの金額の合計を払った。
何も知らない彼は笑顔で「サンキュー」と言った。
俺はそんな彼に真面目な顔でこう言った。
「エラを家までよろしくお願いします」
俺がこのドライバーと初めて向き合った瞬間だった。
彼はまた笑顔になって、こう言った。
「OK!」
その「OK!」はアメリカのポジティブ野郎のバカな「OK!」ではなく、使命感のある「OK!」だった。
俺はエラに手を振った。
エラは曇った表情のままこちらをちらりと見ると、一瞬だけ手を挙げた。
その後、彼女は一度も振り向かず店をあとにした。
それから毎日、ビーナスの部屋で4時間のプライベートレッスンをし、エラの店にビールを飲みに行った。しかし、彼女は前みたいに心から笑ったりはせず、プロとして接客した。
彼女を笑わそうとしても、プロとしてのつくり笑いが返ってくるだけ。
毎日、帰りのバイクタクシーで後悔した。
「あの時、なんであんな質問をしてしまったんだろう?」
もう、前のような関係には戻らないだろうと思った。
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