スポーツ

ホーガンVSフレアー実現――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第116回

 フレアーはWCW世界ヘビー級王座のチャンピオンベルトを腰に巻いていた。WCWを解雇となった時点で世界王座はハク奪されたが、ベルトそのものはフレアーの個人所有だったため、いわゆる“黄金のフレアー・ベルト”はリングコスチュームの一部となった。  ビンスがふた通りの“プログラミング”を準備した理由はかんたんだ。ホーガンは月間10試合程度の限定スケジュールで大都市のビッグショーにしか出場しないため、地方巡業にあたる平日のハウスショーではフレアーのための“定番カード”をプロデュースしておく必要があった。フレアーの対戦相手に指名されたのは、旧友との予期せぬ再会をだれよりも喜んだパイパーだった。  フレアーとホーガンの“世紀の一戦”の第1ラウンドは、10月25日にカリフォルニア州オークランドで実現するはずだったが、ビンスはそれよりも3日まえにオハイオ州デイトンで開催された“プライムタイム・レスリング”のTVテーピングでダーク・マッチ(テレビ放映のない試合)という形で実験的にこのカードをラインナップした。  ホーガン対フレアーの初対決は、5分弱のファイトタイムで両者反則のノーコンテスト裁定に終わった。ダーク・マッチで観客のリアクションをつぶさに観察したビンスは、予定されていたオークランドでの“世紀の一戦”にゴーサインを出した。  オークランドでおこなわれたWWE世界ヘビー級王者ホーガン対フレアーのタイトルマッチは、フレアーが凶器攻撃でホーガンからフォール勝ちをスコアし、いったんはチャンピオンベルトを手にするが、リングサイドのサブレフェリーが判定をリバース。ホーガンが反則勝ちで王座防衛に成功するという内容だった。  オークランド・コロシアムでのタイトルマッチは1万3400人の大観衆を動員し、15万7000ドルの興行収益をはじき出した。その後、ホーガン対フレアーのタイトルマッチは全米各地でおこなわれたが、ついにいちどもピンフォール、ギブアップによる完全決着はつかず、つねに反則裁定か両者カウントアウトの“不透明モード”に終わった。
次のページ right-delta
“にせものの世界チャンピオン”
1
2
3
おすすめ記事