クリック=派閥の台頭とディーゼルの大化け――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第193回(1995年編)
1995年はPPV市場がいっきに拡大した1年だった。WWEとライバル団体WCWがこの年に開催したPPVイベントの合計は全20大会。1993年の全11大会、1994年の全13大会と比較すると大幅に増えていることがわかる。これはアメリカのプロレス団体の経営基盤が従来のハウスショーの興行収益からPPVの視聴契約(有料受信料)へと移行したことを示してる。
WWEはそれまでの1月の“ロイヤルランブル”、4月の“レッスルマニア”、6月の“キング・オブ・ザ・リング”、8月の“サマースラム”、11月の“サバイバー・シリーズ”の5大会に加え、1995年から新企画“イン・ユア・ハウス”を導入した。
5.14“イン・ユア・ハウス1”(ニューヨーク州シラキュース)、6.25“キング・オブ・ザ・リング”(ペンシルベニア州フィラデルフィア)、7.23“イン・ユア・ハウス2”(テネシー州ナッシュビル)の3大会のカード編成は、いまになってみるとWWE世界ヘビー級王者ディーゼル(ケビン・ナッシュ)の大化けとショーン・マイケルズ派閥クリックKliqの政治的台頭というひとつの流れをはっきりとディスプレーしていた。
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