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キミはアランドラ・ブレイズを知っているか?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第191回(1995年編)

WWEオフィシャル・パブリシティ・フォト

WWE世界女子王者アランドラ・ブレイズは、メドゥーサが2年間だけ演じた“仮の姿”だった。(写真はWWEオフィシャル・パブリシティ・フォト)

 WWE世界女子王者アランドラ・ブレイズというよりは、日本のファンにとってはメドゥーサといったほうがはるかにわかりやすい。メドゥーサのスペルはMadusa――正確な発音はマドゥーサ――で、“メイド・イン・USA”と“アメリカの狂気madness”というふたつの意味がこめられているという。アランドラ・ブレイズというキャラクターは、メドゥーサが1993年12月から1995年12月の2年間だけ演じた“仮の姿”だった。

 そのプロフィルについても諸説がある。デビュー当時は1963年生まれということになっていたが、ある時期からそれが1964年生まれに変更された。

 出身地はイタリア・ミランとミネソタ州ミネアポリスのふたつの情報がつねに併用されてきた。本名はデブラ・マチェリ(日本でのカタカナ表記はミッシェリ)だが、出生時の名はデブラ・ロウェンドウスキーだったとするデータもある。

 父親はイタリア人、母親はパトワトミ・インディアンの血をひく黒髪のネイティブ・アメリカンだが、メドゥーサ自身はネイティブ・アメリカン的ではないブロンドの髪といわゆる白人的な容姿で生まれた。ミネアポリスのロビンズデール・ハイスクールを卒業後、老人ホームで働きながらモデルの仕事をしていたところをエディ・シャーキーにスカウトされてプロレスラーになったというのが定説だが、ハリウッド映画のスタントパーソンをめざしていたときに知人からシャーキーを紹介されたという説もある。

 エディ・シャーキーはロード・ウォリアーズ、リック・ルード、クラッシャー・クルシチェフ(のちのデモリッション・クラッシュ)、ニキタ・コロフ、トム・ジンクらを育てた名コーチで、メドゥーサはウォリアーズらの後輩ということになる。

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1987年、ミネアポリスのインディー団体PWAでデビュー

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