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“女帝”ブル中野にとって地球はちいさすぎた――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第192回(1995年)

WWEオフィシャル・パブリシティ・フォト

“女帝”ブル中野は日本だけでなくメキシコ、アメリカでも一世を風びした女子プロレス界のスーパースターのなかのスーパースターだった。90年代後半にアメリカでグリーンカード(永住権)を取得し、プロレスファンのまえからプッツリと消息を絶ったが……。(写真はWWEオフィシャル・パブリシティ・フォト)

 “消えたスーパースター”というあまりいい意味では使われないマスコミ用語があるけれど、ブル中野はほんとうにもうちょっとのところで女子プロレス史上最大のミステリーになるところだった。

 全日本女子プロレス、というよりも女子プロレス界の絶対的な“女帝”の座に君臨し、スーパースターのなかのスーパースターとして日本、メキシコ、アメリカのリングで一世を風びしたブルは、ある日突然、プロレスファン(とマスコミ)のまえから姿を消した。

 1968年(昭和43年)1月8日、埼玉県川口市出身。川口市立芝東中学を卒業後、1983年(昭和58年)に全日本女子プロレスに入門し、同年9月、15歳でデビュー。1985年(昭和60年)、頭の左半分だけをきれいに剃り上げた変形モヒカン刈りと黒を基調としたフェースペイントで悪役にイメージチェンジし、ダンプ松本をリーダーとするヒール・ユニット“極悪同盟”に加入した。

 ダンプ、クレーン・ユウ、コンドル斎藤ら極悪同盟の主力メンバーが引退後は、キャリア5年のブルがリーダーとなって新ユニット“獄門党”を結成(1988年=昭和63年)。グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村ら後輩グループを新メンバーに迎えた。

 ブル自身は1990年(平成2年)1月、王座決定トーナメント決勝戦で西脇充子を下し“赤いベルト”WWWA世界シングル王座を獲得。ここから団体対抗戦路線がピークに達した1994年(平成6年)までの約5年間が全女におけるブルの全盛期だった。

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ブルは、新たな男性ファンを呼び込んだ

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