右目が見えなくても“2代目人間風車”鈴木秀樹のレスリング論【最強レスラー数珠つなぎ vol.7】
――U.W.F.スネークピットジャパンに入門したのはなぜですか。
鈴木:20歳のときに郵便局に採用されて、北海道から上京したんですけど。ちょうど小泉純一郎さんが総理大臣のときで、郵政民営化するちょっと前ですね。職場にプロの総合格闘家になるために上京してきた人がいたんです。僕と同じくらい背が大きくて、大きいから練習相手がいないんですよ。それでスネークピットに誘われたんです。半年くらい断ったんですけど、しつこいからとりあえず一回だけ行ってみることにしたのが最初ですね。運動したくなかったので嫌々でした。運動に自信がなにもなかったですから。経験もなかったですし。
――運動をしてこなかったのは、右目の視力の影響……?
鈴木:それだけじゃないんですが、球技がとくにダメでしたね。野球をやっていても、ちょっと曇ったらボールが分からないんです。消えちゃうんですよ。僕、色盲なんですけど、色も分からないし遠近感もないので、ボールがいきなり出てきたり消えたりするんです。元々運動は好きじゃなかったんですけどね。家でファミコンをするほうが好きでした。運動神経も良くないと思いますよ。柔道だけは小学校のとき2年間くらいやりました。
――右目は生まれつき見えないんですか。
鈴木:ほとんど見えないです。赤ちゃんのときって、みんな視力が弱いんですよね。他の動物でも。成長するにつれてだんだん視力が上がってきて、見えるようになってくるものなんですけど、僕は右目だけ育たなかったらしいんです。なんの原因かは分からないんですけど。あるとき眼科に連れて行かれて、左目に眼帯をつけさせられたんですよ。右目をどんどん使っていけば、ある程度、治ってくるからということで。でも育たなかったんですよね。
――ロビンソン先生も右目が見えなかったとか。
鈴木:右目が見えないという話をしたら、「そうか。オレも右目は見えないけど、レスリングはできるよ」と言われたんです。その一言で、レスリングなら自分にも出来るんじゃないかと思いました。その言葉がなかったら、いまレスリングをやっていないと思います。
――元々、プロレスはお好きだったんですか。
鈴木:好きでしたね。ちゃんと見始めたのは中学に上がる前くらいなんですが、一番最初に見たのは小学校の最初の頃です。ジャンボ鶴田と長州力のタッグマッチで、長州さんのパートナーが谷津嘉章さんだったんですよ。でも僕は三沢(光晴)さんのタイガーマスクが見たかったんです。だから子供心に、「谷津かよ」と思った記憶があります(笑)。本格的にプロレスにハマったのは、武藤(敬司)さんが海外からグレート・ムタとして帰ってきたときです。武藤さんきっかけで、それから好きでずっと見ています。
でもプロレスラーになりたいとは思っていなかったですね。スネークピットに入門してからも、自分は見るほうだなと思っていました。PRIDEが盛り上がっていたので、総合のアマチュアの試合には出たことがあるんですけど、どうせならそっちかなと思ったんです。でもやっていくうちに、ロビンソンのプロレスに興味を持つようになったんですよね。ちょうどインターネットが普及してきた頃だったので、動画でロビンソンの試合を見たりして。自分が教わったものを、ロビンソンの試合を見て答え合わせしていました。そうしたら、そっちが面白くなっていったんです。
――2008年にIGFでプロレスデビューされました。
鈴木:4月に異動の話があったタイミングで、郵便局を辞めることにしたんですけど。8月の有休消化中に、IGFのPPV放送が両国国技館であったんですよ。そこに宮戸(優光)さんが解説にいったんです。そのときにセコンド業務をやってくれといきなり言われて、その一週間後くらいにデビューしちゃったんですよ。IGFは、猪木さんがやっているくらいしか印象がなかったです。入門テストを受ける人たちって、志が高いじゃないですか。僕、すごい低いんです。いまもずっと志は低いまま(笑)。
――意外ですね。ものすごく志が高いイメージです。
鈴木:ものすごく低いです(笑)。申し訳ないですよね、プロレスやっていて。でもだから続くんですよね。上に行こうと思ったら続かなかったと思います。
――2014年にフリーになったのは、なぜですか。
鈴木:2月にロビンソンが亡くなったんですよ。ジョシュ・バーネットから連絡が来て、‘passed away’って書いてあったんです。英語の意味は分からなかったんですけど、‘away’ってあんまりいい意味じゃないなと思って調べたら「他界」と書いてあったので、亡くなったんだなと。そのときに、IGFを辞めてフリーになろうと思ったんですよね。翌年からIGFの試合数が減るということで、ちょうど迷っていた時期だったんです。でもフリーになるといったところで、なんの当てもなかったんですよ。IGFって特殊なんですよね。プロレスでも格闘技でもない。他と関わりがないのでどうしようかなと思っていたときに、ロビンソンが亡くなって、そこで決心しました。
――フリーになるとき「年間100試合」を目標にしていたそうですが、いま試合数はどれくらいですか。
鈴木:去年、一昨年は、80、90くらいですかね。年間100試合と宣言したものの、一回もいっていないです。すぐ問題を起こすので(笑)。
尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko
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■大日本プロレス 「一騎当千~Death Match Survivor~」開幕戦
http://www.bjw.co.jp/event_detail.php?id=1399
【開催日】2017年3月5日(日)
【開場時間】11時00分
【開始時間】12時00分
【メインイベント】BJW認定世界ストロングヘビー級選手権試合(関本大介vs鈴木秀樹)
『ビル・ロビンソン伝 キャッチ アズ キャッチ キャン入門』 往年の名プロレスラーであるビル・ロビンソン氏より直接学び、現役プロレスラーとしてリングに上がる鈴木秀樹氏を著者に、精密な分解写真で“見れば分かる"世界でも類を見ない技術書 |
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