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大喜利だけが生きていることを実感できる場所だった――“伝説のハガキ職人”ツチヤタカユキが戦い続けた“カイブツ”の正体

ハガキ職人から、人気芸人の漫才作家に


 『笑いのカイブツ』を読んでいてひしひしと感じるのは、彼の生き急ぐスピードの速さだ。シド・ヴィシャスと同じ21歳で死ぬと決め込み、実際にその歳で『ケータイ大喜利』のレジェンドに昇格。途中、吉本の作家見習いになるが、わずか3ヶ月でクビ同然の形で追われる。ハガキ職人になってからは、いくつものバイトを転々としながら生活費を稼ぎ、それ以外の時間のすべてをネタ投稿に費やして、日常生活はボロボロになっていった。なぜ、社会に順応する道を自ら閉ざし、笑いだけに身を捧げる破滅的な生き方を選んでしまうのか。

ツチヤ:自分が結婚している姿や、老人になっている姿がまったくイメージできなかったんですよ。今もできないんですけど。もともとモテないし、友達もいないし、学校が嫌いで楽しくなかったので、普通に会社に入ってもその延長線上のような気がして。今いる場所がすでに地獄だったから、この先普通に生きていても地獄だろうと。大喜利の投稿だけが唯一生きてるって感じる場所だったので、ここが終わったらもう地獄しか残ってないんだから、生きていてもしょうがないって感じでした。

 そして、投稿を始めて3年。行き着くところまでやりきってしまった彼は、24歳のときにハガキ職人としての目標とやりがいを見失ってしまう。

ツチヤ:最初の半年くらいは採用されると快感でしたけど、ある時点から進化も成長もせず、惰性で焼き直しを繰り返しているような状態が1年くらい続いて。最後のほうは、ただただ苦痛で辛い作業でした。

 そんなとき、奇跡が起きる。投稿の常連だった、あるお笑いコンビのラジオ番組で、ツチヤ氏の面白さを見出したパーソナリティーが「作家になればいいのに」と言ったことに対し、彼がたった一言「人間関係不得意」とメールを返したことがあった。このエピソードを、その芸人がテレビのバラエティ番組で披露したのだ。このことにツチヤ氏が長文のお礼メールを出したことから、2人の関係は進展。なんと“作家見習い”として上京し、彼らの単独ライブの漫才台本を手伝うことになったのである。

ツチヤ:投稿を見て、僕の抱えてる背景を見抜いてくださったのかもしれません。あのときは、ちょうどハガキ職人にやりがいを失ってどん底だったタイミング。あそこで名前を出してもらえていなかったら、今頃は死んでいたような気がします。すがるような思いでメールを出しました。

 ところが、そんな千載一遇のチャンスにも、彼の「人間関係不得意」な性格が災いする。ネタを書く以外の才能を一切身に付けてこなかったツチヤ氏は、先輩の顔を立てたり、偉い人に取り入ったり、といった業界を生きる上での処世術がまったくできなかった。いや、そんなことをするのは、“おもしろいヤツだけが正しい”という彼の美学が許さなかったのだ。

ツチヤ:それに、ラジオのハガキ職人から放送作家や構成作家になった方がたくさんいたり、他にも、上の世代の方がたくさんいらっしゃって、既に席は全部埋まっているように思えました。自分がこの飽和状態の中にいたら、何もできずに終わるなと。それに、既に誰かがやった事をなぞるだけの人生にはしたくないんで、誰も歩いたことがない道に足跡をつけなきゃ意味がないと思ってしまうんです。前例がないなら、なおさら、今まで誰もやった事が無い、新しい前例を作ってやるって思ってました。

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しんどいけど、そういう風にしか生きられない

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笑いのカイブツ

“人間関係不得意”で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキ。「オールナイトニッポン」「伊集院光 深夜の馬鹿力」「バカサイ」「週刊少年ジャンプ」など数々の雑誌やラジオで、圧倒的な採用回数を誇るようになるが――。伝説のハガキ職人による青春私小説。





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