更新日:2022年08月23日 11:36
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大喜利だけが生きていることを実感できる場所だった――“伝説のハガキ職人”ツチヤタカユキが戦い続けた“カイブツ”の正体

しんどいけど、そういう風にしか生きられない

 結局、どうしても業界になじめなかった彼は、単独ライブを一本だけ担当し、作家を辞めて大阪へ戻ることになる。誰よりも笑いに身を捧げ、笑いを作ることだけに純化した存在になった結果、その笑いの世界すらも彼の居場所ではなくなってしまった。純粋すぎるがゆえにいびつにしか生きられない彼の姿は、あまりに不器用だ。 ツチヤ:もちろん葛藤はしましたけど、最終的には岡本太郎の本に書いてあった「迷ったら死ぬほうを選べ」とか、「同じことを繰り返すなら死んでしまえ」といった言葉が行動パターンとして染み付いているので、「岡本太郎やったらこっちやろ」と、あえて破滅的なほうを選んでしまうんですよね。  しかし、ツチヤ氏を突き動かしているのは、岡本太郎ではなく、自分自身の衝動だ。本書の中で、彼は笑いに魅入られ、笑いに駆り立てられるもう一人の自分を“カイブツ”と表現している。ことあるごとに、彼は“カイブツ”と対話し、“カイブツ”に挑発され、“カイブツ”に導かれるように逃げ場を断っては、笑いの才能と引き換えに、ありきたりの人間としての人生を犠牲にしていく。 ツチヤ:それに従って生きるのは自分でも常にしんどいんですよ。でも、心がそっちと言ったら従うしかない。もうそういう風にしか生きられないんです。誰かに認められたいとか、誰かのためにとかじゃなくて、ずっと自分が一番の客だったんですよね。その客を楽しませるために動いているところがあります。  そして、集大成のつもりで挑んだ落語台本の賞に落選し、ついに限界を感じた彼は、絶望とともに笑いから足を洗うことを決意する。このとき27歳。童貞で、無職で、全財産はゼロだった。 ツチヤ:できる努力は全部やり尽くして、もうやることがなくなってどん詰まりになってしまった。やめる以外に選択肢がなくなってしまったんです。  絶望の末に自殺まで考え、世の中の報われた人間が作るすべての生ぬるい表現に中指を突き立てるような本書のくだりは、ひりひりと痛々しく、自分のことではないのに思わず目を背けたくなる。それは、現代において彼のように愚直に生きることがいかに厳しく難しいかを、私たちはうすうす知っていて、無意識にそれを諦めて生きているからかもしれない。ツチヤ氏自身が“カイブツ”となって、「お前、それでいいのか?」と私たちに問いかけてくるのだ。

ツチヤタカユキ著『笑いのカイブツ』(文藝春秋)。発売即重版の問題作。

ツチヤ:この先、何をするかはまったく考えていません。今はこの本のプロモーションしか仕事がない状態。印税を前借りしていて、バイトもしていないので、悪く言えばニートです。執筆の仕事が来たらやらせていただきたいですが、来なかったらそのときに考えます。今も毎日机に向かって書くことだけは自分に課していて、今、書いているのは小説。内容はまだ言えない状態ですけど、完全なるフィクションですね。  本書は、何者かになりたくてもなれなかった、すべての人たちの怨念と呪詛を代弁する、まるで遺書のような渾身の私小説である。それゆえ、刊行後に死んでしまいかねないようなあやうさを本書から感じていたので、彼が今度は小説を書いていると知って、少しほっとした。ツチヤ氏のような表現の世界でしか生きられないような人こそ、書き続けて、報われてほしい。そして、かつて夢を諦めたことのあるすべての人に、夢が終わってからも物語は続くのだということを、見せつけてほしい気がするのである。

「内容はまだ言えない」ツチヤ氏の次回作もまた楽しみでならない。

取材・文/福田フクスケ 撮影/スギゾー
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笑いのカイブツ

“人間関係不得意”で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキ。「オールナイトニッポン」「伊集院光 深夜の馬鹿力」「バカサイ」「週刊少年ジャンプ」など数々の雑誌やラジオで、圧倒的な採用回数を誇るようになるが――。伝説のハガキ職人による青春私小説。

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