「紙の匂いを食べて生きていた」貧乏な家に育った私は大人になっても借金地獄にいる――爪切男のタクシー×ハンター【第二十六話】
こういう深刻な話は知らない人の方が話しやすい。そう、タクシー運転手だ。私は、ジャイアント馬場によく似た運転手をハントした。距離感を縮める為の軽い世間話を済ませた後で悩みを打ち明ける。
「軽い気持ちで聞いてくれたら助かるので、僕の悩み聞いてくれますか?」
「私なんかでいいんですか? きっと聞くだけでお力にはなれませんよ?」
「それで充分です。誰かに聞いてもらいたいだけなので」
「それでしたらしっかりとお聞きしますね」
「恥ずかしい話なんですけど、借金がたくさんありまして、しかも多重債務なんです」
「おやまぁ……なるほど……お金ですか」
「何とか返せていける目途は立っているのでいいんですけど、やっぱりたまにしんどくなっちゃって」
「そりゃあそうでしょう……」
「借金を抱えたのは自分の責任なので仕方ないんですけどね。だけど、たまには泣き言も言いたくなるわけです。でも、両親、同棲してる彼女、友達、誰にも言えなくて……」
「……お察しいたします」
「こうやって聞いてくれただけで充分です。ありがとうございました」
しばしの沈黙の後、運転手が口を開いた
「……借金、返したくないですよねぇ」
「え?」
「自分勝手でいいじゃないですか、我慢せずに『返したくない!』って言ってください。私は怒りませんから」
「……いいんですか?」
「はぁい、どうぞ! 素直になって!」
「……お金返したくない! 一円も返したくない!」
「いいですねぇ」
「全部他人に返してもらいたい! 遊んで暮らしたい!」
「あっはっは! よく言えました!」
「……ちょっとスッキリしました」
「……お客さんは借金を完済できる人だと思います。私にはそう見えます。たぶん」
「そうですかね? そうなのかな? ありがとうございます」
「借金は最終的に完済すればいい。その過程でどれだけ弱音吐いたり、最低なこと言ってもいいじゃないですか」
「……」
「泣き言一つも言わずに借金返済できる人の方が私は怖いですよ。人間はもっと弱いもんじゃないですか。泣きべそかきながら返済してください」
「……」
「そう思えば気楽になりませんか?」
「……誰にも心配をかけないようにって、自分で自分を追い込んでました」
「それはいけませんね。借金は完済という結果だけ出せばいいんです。結果が全てのスポーツと一緒です。借金もスポーツですよ。借金部という部活だと思って頑張りましょう」
「ははは、借金部っていいですねぇ! でも、こんなこと言ってたら、真面目にやってる人達に怒られそうですね」
「真面目に返した百万円もいい加減に返した百万円も同じ百万円ですからね。お金はお金でしかないんです」
運転手との気持ちの良い会話を終えて、家に帰った私は、同棲中の彼女に借金に関する悩みを素直に打ち明けることにした。彼女は責任を感じてしまうだろうが、このまま私の心が潰れて、おかしくなってしまうよりは幾分マシに思えたからだ。
「やっと……言ってくれたね」
「……ごめんね、かっこよくお前の借金肩代わりしたのに」
「最後までかっこつけれる人じゃないこと知ってるから大丈夫」
「……うん」
「私にできることある?」
「……毎月の返済、一緒に行ってくれる?」
「オッケ~!」
翌月の借金返済日。いつもの洗剤臭いエレベーター。いつもは一人で乗っているエレベーター。今日は横に彼女がいる。何回もでっかい口を開けて欠伸をしながら、私の横にちょこんと立っている。二人の手は固く握られている。最近はデートをする時も握らなくなったお互いの手を強く握っている。久しぶりにキスをしようとしたらキスはさせてくれなかった。
「最近ユーミンの良さにちょっと気付いてきたんだよね~」
そう言って、彼女は「ルージュの伝言」を鼻歌で歌いはじめた。下手糞な鼻歌だ。でも心地良い。毎月エレベーターの中で、どうでもいい話をたくさんしよう。それは借金が運んでくれた小さな幸せだ。
彼女はATMのゴミ箱に捨てられている他のお客さんの利用明細書を漁り、
「この人! 私達より借金多いよ! この人に比べたら私達はまだ大丈夫~!」
最悪な言葉を発して、また鼻歌を歌い始めた。愛する彼女が歌う「ルージュの伝言」が無性に聴きたい。今月の借金返済を終えた私は彼女に言った。
「カラオケ行こう」
文/爪 切男 ’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀 ’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu
※さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた当連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築した青春私小説『死にたい夜にかぎって』が好評発売中
『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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