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「やっぱり潮を吹く女の方が好き?」彼女はアサリを見ながらつぶやいた――爪切男のタクシー×ハンター【第二十四話】

終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。 【第二十四話】彼らの死が当たり前のことを気付かせてくれた。  アサリを飼ったことがある。二回ある。  私の家はなかなかの貧乏家庭だった。そのために「何でもいいのでペットを飼いたい!」という私の子供らしい願いも、餌代などの維持費の問題で叶えてもらうことはできなかった。  そんな私にもようやくペットができた。アサリだった。海にいるあのアサリである。我が家にとっては家族の行楽ではなく、アサリという食材を得る為の狩猟として頻繁に行われていた潮干狩り。ある日の潮干狩りの最中に親父はひらめいた。 「アサリをペットにすればええ。この中から一匹選んで飼えばええ」  なぜ一匹しか飼ってはいけないのか。という疑問よりも、ようやくペットを飼える喜びで私は狂喜乱舞した。大小さまざまな大きさが入り混じったアサリ、一つとして同じ模様がないアサリの中から、虹色がかったように見える綺麗な模様のアサリを選んだ。選ばれなかったアサリ達は、親父の手によって砂抜きが施され、味噌汁と酒蒸しにされることになった。  選ばれなかったアサリ達は塩水に浸される。しばらくすると殻の隙間から触角のような水管を伸ばして、体の中に入っている水や砂を吐き出しはじめた。これをすることで美味しく食べることができるのだ。一匹のアサリだけを選ぶという残酷な行為をした私の眼には、アサリが勢いよく吐き出す潮がアサリの涙に見えて仕方なかった。当時の私は、貧乏に負けないように強く育てるという親父の行き過ぎたスパルタ教育を受けており、簡単に泣くことを許されていなかった。転んで膝をすりむいて泣いたら、親父に「泣くな」と殴られた。「お母さんに会いたい」という言葉は絶対言えなかった。アサリ達が羨ましい。悲しい時にちゃんと泣けることが羨ましい。私はアサリ達への懺悔と羨望がごちゃ混ぜになった感情で潮吹き祭りを眺めていた。  大人になって知ったことだが、アサリが出している潮は、排泄物を放出しているので、人間でいえばおしっこのような物だという。私が涙だと思っていたのはおしっこだった。  その日、私はアサリの味噌汁を何杯もおかわりした。「いい食べっぷりや」と親父は満足そうだった。  選ばれしアサリに名前を付けることにした。当時、小学校の図書室で夢中で読んでいた少年探偵団シリーズの作者である江戸川乱歩先生から名前を拝借して、乱歩と名付けた。さぁ、これから存分に可愛がってやろうと思ったが、犬も猫も魚も飼った経験がない私にアサリの飼い方など分かるはずがない。親父は全く力を貸してくれなかったので、近所の魚屋にアサリの飼い方を聞いてみた。 「とりあえず水に入れておかないとだめかな。でもすぐ死んじゃうと思うよ」  アサリの住処としてバケツに水道水を溜める。餌に関してはよく分からなかったので、とりあえずちりめんじゃこを細かくすり潰して投入しておいた。 翌朝、乱歩は死んでいた。  殻が半開きになっており、隙間から匂ってみると強烈な異臭がした。水道水に浸けていたのがよくなかったのだろう。本当に死んでいるのかを確認してもらうために、乱歩を魚屋に見せに行った。 「死んでるね」  魚屋の検死は終わった。  親父にも乱歩の死体を見せたところ、親父は険しい顔をしながら 「アサリは飼うものじゃない。食べるものだ」 と偉そうに言った後に、私を殴った。  このまま捨てるのも可哀そうなので、裏庭に乱歩の墓を作ってあげた。地面に穴を掘り、乱歩の小さな体に土をかぶせて手を合わせる。せめて安らかに眠ってほしい。その私の想いは報われることはなかった。朝に作った墓はその日の昼にカラスによって掘り返されていた。哀れ、乱歩は鳥の餌となった。アサリの殻だけがそこにあった。乱歩は鳥葬で天国に旅立った。
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乱歩の死から時は流れ、私は立派な大人に成長していた
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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!

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