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「男の寂しさを埋めるのは松尾芭蕉ではなくカンパニー松尾」風俗の客引きから学んだこと――爪切男のタクシー×ハンター【第二十五話】

 終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。 【第二十五話】本当か嘘かなんて、そんなに大事ですか?  何回も夜を共にしたジジイがいる。  ジジイの名前は吉田さん。下の名前は知らない。年齢は六十歳ぐらいで、街に夜の帳が下りると路上に現れる風俗の客引きを生業としていた。客引きと言うと、一般的には派手な服装、チャラチャラした性格、いかつい体格等のイメージが連想されるが、吉田さんはそのイメージとは真逆であり、落ち着いた初老の執事さんという佇まいで、そのまま高級ホテルのフロントを勤めることもできそうだった。上下を黒のスーツで決めた吉田さんの姿は、慌ただしい渋谷の繁華街で異彩を放っており、常に微笑みをたたえた顔は大日如来様のように優しかった。 「あなたの夢先案内人 吉田」  そう書かれた名刺を吉田さんは配っていた。いきなり声をかけるのではなく、まず名刺を渡す。最低限の礼儀を尽くす。それが彼の流儀だった。ただの風俗の呼び込みが自分のことを夢先案内人とはよく言ったものだ。仕事の気分転換に繰り出した夜の街で、私達は出会った。全てを見通したかのような吉田さんの微笑みに私はヤラれてしまった。私はジジイに恋をした。もらった名刺からは微かなラベンダーの香りがしていた。  吉田さんとお近づきになりたい一心で、何回もお店を紹介してもらった。二ヶ月ほど通い詰めた頃、ようやく顔を覚えてもらい、くだらない世間話もできる間柄になれた。私達はやけに馬が合った。本当は自分のことにしか興味が無いくせに、他人と話すことが大好きな寂しがり屋。だが、相手の話はほぼ聞いていないという共通点が二人の距離を一気に縮めたのだと思う。  路上での逢瀬を重ねるうちに、自分の過去について話してくれるようになった。 「私ね、昔は会社の社長をやっておったんですよ」 「吉田さんの落ち着きはそこからきてるんですね」 「でもね……社長なんてするもんじゃないですよ。私という人間を見ずに、『社長』という肩書きでしか見てくれない。薄っぺらい関係ですよ」 「そういうもんなんですかね」 「事業に失敗して、家も売り、女房と子供とも別れることになりました。『社長』じゃなくなった私に話しかけてくる人は誰もいませんでした」 「……」 「今はしがない呼び込みをしておりますが、あなたのように気楽に話しかけてくれる方もいる。辛いこともあるけど楽しいことの方が多いです。オフィスでふんぞり返っているより、こうやって外に居る方が私の性に合ってます」 「……素敵ですね」 「そこまで素敵な話じゃないですけどね」 「……あの……吉田さん、本当に社長だったんですか?」 「……信じてくれてないんですか?」 「……はい」 「本当か嘘かなんてそんなに大事ですか?」 「……いや、どうでもいいですよね」 「はい、どうでもいいですね」  そう言って私達は笑った。
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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!

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