「紙の匂いを食べて生きていた」貧乏な家に育った私は大人になっても借金地獄にいる――爪切男のタクシー×ハンター【第二十六話】
―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。
【第二十六話】人間はもっと弱いもんじゃないですか。
中国の仙人は霞を食べて生きていたそうだが、私は紙の匂いを食べて生きていた。
私が生まれた時から我が家は借金まみれだった。借金のほとんどは、離婚して家を出て行った母親が残していったものだった。父からは「母さんの連帯保証人になってたから仕方なく払ってるんや」と聞かされていたが、なんとなくそれは嘘なんだろうなと分かっていた。おそらくは酒飲みの祖父とギャンブル好きの父が作った借金である。まぁ、自分が生まれる前のことには興味がないので理由はどうでもいい。
そんなわけで、あまり裕福な家庭で育たなかった私は、肉料理、鍋料理といった豪華な食事や、子供の大好きなおやつを存分に楽しめる食生活は送れなかった。そんな私の空腹を満たしてくれたのは新聞紙、チラシ、雑誌などの紙の匂いだった。紙の匂いは千差万別である。和紙、クラフト紙など紙の種類によって、その成分も大きく異なり、匂いが変わる。その他にも、表面に薬品を塗って加工しているかどうか、作られた時期、保存状態によっても匂いは違う。一回水に濡れた後に乾いてパリパリになった方が良い匂いのする紙もある。同じ匂いは一つとしてないのだ。
幼い頃の私は、それらを主なおやつにしていた。フルーツのような柑橘系、胡椒のようにスパイシー系、気持ちが落ち着くミント系。本当に色々な匂いがあった。ゴミ捨て場に足を運んでは、捨てられている様々な雑誌の匂いをテイスティングして、未知の匂いを開拓する日々であった。私が特に好きだったのは、雑誌『テレビマガジン』のカラーページと、東京書籍の国語の教科書の匂いだ。どちらも苦みと甘さが最良のバランスで溶け合ったカフェオレのようなクリーミーな匂いがした。
そんな過去がある為か、大人になった今も、紙の匂いに人一倍の執着を持っている。頂いたお歳暮やお中元は中身より先に包み紙を匂い、買ったCDは曲を聴くより先に歌詞カードの匂いを確認する。街を歩いている時は、旅行代理店や携帯ショップのパンフレット、街頭で配られているビラなど、良い匂いがしそうな紙は全て手に入れてテイスティングしないと気が済まない人間に育ってしまった。
『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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