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「セックスレスからの脱出」甘くて生々しい体臭が私を目覚めさせた――爪切男のタクシー×ハンター【第二十八話】

 彼女と初めて会った時のことを思い出していた。  私達が初めて出会った場所は新宿。初めて一緒に行ったお店は叙々苑。彼女は、美味しそうに焼肉を頬張りながら、自分のことを話してくれた。唾マニアの変態達に自分の唾を売り捌いて生活をしていること。唾にも相場が色々あるそうで、条件次第で“一唾”が二万円になるらしい。マニアからすれば、夏の唾と冬の唾は違うし、昼の唾と夜の唾でも質が違うので、値段が変わるらしい。どこの世界でも色々と評価基準があるもんだ。  彼女は音楽で成功したいという夢を持っていた。歌は上手に歌えないし、弾ける楽器など一個も無かったが、パソコンの音楽作成ソフトを使って作曲するDTMの技術を使って作品を作っていた。十万円近くする高価なソフトを、彼女は自分の唾の売上だけで購入したと言う。ここまでくると立派だ。  彼女の話をひとしきり聞いた後、私は口を開いた。 「素敵じゃないの」 「え?」 「君は本当にカッコイイと思う」 「……バカにしてる?」 「本心から言ってるよ。自分の夢の為にそこまでやれる人を尊敬する」 「……初めてそんなこと言われた」 「どんな音楽作ってんの? 聴かせてくれない?」 「……聴かせるの恥ずかしい」 「変態に唾売ってるくせに何が恥ずかしいんだよ」 「唾売ってることはどれだけ馬鹿にされても大丈夫だけど、自分の曲を馬鹿にされたら生きていけない」 「……」  「なんて馬鹿な女だ」と思った。と同時に、彼女のことがいとおしくてたまらなくなった。すぐにでもこの手で彼女を抱きしめてあげたい。憐みの感情が入っていたのかどうか、今となってはよく覚えてないが、目の前の彼女のことを好きだという気持ちに嘘はなかった。自分の気持ちに気付いた私は、突然の嵐に怯えて泣いている子供に「もう嵐は来ないよ」と言い聞かせる母親のような優しい口調で、言った。 「もう唾を売る必要はないよ。俺と一緒に暮らそう。お金は俺が何とかする」  彼女はキョトンとした顔で不思議そうに私の顔を見つめている。更に私は続けた。 「頑張ってる君のことが好きになった。だから一緒に暮らそう」 「……」 「……」 「……私こそ……よろしくお願いします」  そこから全てがはじまった。  一緒に暮らしはじめてからも「あの地獄から助けてくれてありがとう。あなたは私の王子様だよ」と、彼女はことあるごとに私への感謝の気持ちを伝えてくれた。彼女が居てくれることで救われているのは私の方なのに。そんな彼女に対する申し訳ない気持ちが押し寄せて来て、私は堪え切れずに泣いてしまった。私は乱れた呼吸を整えて言った。 「君を唾売り生活から救った王子様は……体臭マニアでした。君が唾を売ってた変態達とそんなに変わらなくてごめんなさい」 「……」 「ちゃんとした男じゃなくてごめんなさい」 「……」 「ごめんなさい」 「はははは! あっはっはっは!」 「……」 「よかったじゃん。風呂に入らない女が彼女で。あんたが体臭マニアなら、私も安心してお風呂に入らずにいられるよ。ありがとね」 「……」 「需要と供給がちゃんと成り立ってるし、私達って本当に相性いいね!」  大声で笑った後、それ以上は何も言わずに私を優しく抱きしめてくれた。誰かに抱きしめてもらうことで、こんなにも心が落ち着くということを初めて知った。彼女には教えてもらってばっかりだ。彼女に抱きしめてもらいながらも、私は彼女の脇の匂いをスースーと嗅いでいた。だって、私は変態なのだから。
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ある日の仕事帰りのタクシー
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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!

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