雑学

子供の頃に過ごした街を歩いてみませんか?――言い訳して前に進めなくなった大人たちへ

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第50回

 小学生の頃に過ごした街、埼玉県坂戸市東坂戸団地を歩いてきました。四年生に進級したのと同時に引っ越して以来、実に二十数年ぶりです。かつては賑わっていた広場も、パン屋に本屋、酒屋に米屋といった個人商店はほとんど店をたたみ、残っていたのは「三龍亭」という中華料理屋さんとスーパー、それに病院の数軒ほど。すっかり活気が失われ、寂しくなっていました。

子ども その中華料理屋の店員に「子供の頃に住んでいて、久しぶりに来てみました」と話かけたら、私が引っ越した後のことを聞かせてもらえました。スーパーでお酒を扱うようになって酒屋が潰れ、近くのコンビニで雑誌や書籍を置くようになって本屋が潰れる。そうした業態の変化に加え、子供が減って高齢者が増えて、今の街並みになっていったそうです。

 それはとっくに終わった昭和の成れの果てそのものです。正直言って、東坂戸団地にこれといった魅力はありません。観光地ではないので当たり前ですが、もし遊びに行くなら近くの「小江戸」川越のほうが何倍も楽しめるでしょう。しかし私にとって東坂戸はとても魅力的な街でした。ただ歩いているだけで、幼い頃の記憶と空気を思い出させてくれるからです。

 それはふとした、何気ない瞬間に訪れます。友達が住んでいた団地のエレベーターの踊り場から、真下にある公園を覗き込んだ瞬間に、幼い頃の自分がどんなことに夢中で、どんな話で盛り上がったかを鮮明に思い出せるようになります。おそらくたまたま、子供の頃と同じアングルで風景を捉えたからでしょう。思い出が甦るのに必要なのは、そうした刺激です。

 幼い頃の自分が世界だと感じていたものは、小さな町の、さらにごく一部に過ぎません。大人になって歩いてみると、「たったこれだけ?」と驚くほどの、まるでミニチュアのようなスケールです。あの頃は公園だと思っていたのに、実は単なる空き地だったなんて場所もありました。家に帰って地図アプリで行動範囲を測ってみたら、800mしかありませんでした。

 しかし、子供時代にはその800mの世界に、今とは比べものにならないくらいリアリティがありました。その道のりがとても長く、大きなものに感じられていました。身長、歩幅、目線の位置がその感覚を作り出すのでしょう。意識が地面に近づけば近づくほど、風景は大きく迫るように映ります。

 「バイオハザード」というホラーゲームの人気シリーズがあります。ゲームとしての面白さは変わらないものの、ナンバリングを重ねるにつれて恐怖感や臨場感は失われていきました。それはハードの性能が上がり、ゲームがすべてを描写するようになったからでしょう。情報が限られ、想像の余地が残されていた方が、そこにスリルが生まれます。

 いつも使っている道の一つ隣を歩くだけで、子供にとってはそれが冒険になります。大人になると、「隣の路地はいま自分が歩いている路地と何も変わらない」とわかってしまいます。それが大人の便利さであり、つまらなさです。ここに単なる懐古趣味ではない学びがあります。

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