雑学

「やばいな、これ。ひょっとして俺、死ぬ?」――世界23か国、2年と8か月も続けた「世界一周花嫁探しの旅」をやめる理由

修行者「あなたからは何かスピリチュアルなパワーを感じます」
俺「え、俺? ないっすないっす」
修行者「いや、ありますよ。あ、ちょっと待って下さい。私、いま解脱が始まりました」


急に彼女の目が方々に飛んで行ってしまいました。思考と思考が繋がらない感じです。まるで発作を起こした病人のよう。数分後、普通の目に戻られました。

修行者「わかりました。あなたはシャーマンの生まれ変わりです」
俺「シャーマン?」
修行者「そうです。あなたは何かを世の中の人に伝える仕事なのです」
俺「そ、そうですか。何を伝えれば良いですか?」
修行者「今、ひらめきました。あなたはアダムとイブが描かれた『創世記』の続きを書いて伝えるのです」


俺はその内容に興味があった。

俺「どんな内容ですか?」
修行者「それはあなたが考えるのです」
俺「え?俺が?」
修行者「私にはその力がない。だからあなたが書いて私に伝えて下さい」
俺「あなたのアイディアだからあなたが書くべきだと思います」
修行者「いえ、あなたはシャーマンだからあなたが考え書くのです」


俺は心の底から思いました。

「なんで俺が。。世界一周花嫁探しを書くだけでも大変なのに。。。」

翌日も、その日本人女性から話しかけられました。

修行者「『創世記の続き』を書く気になりましたか?」
俺「いや、その……。申し訳ないですが……」


その夜、彼女から「創世記の続きを書いてほしい」という長い長い手紙がメールに届きました。これから俺のことを「アダム様とお呼びします」とも書いてありました。

その翌日も話しかけられました。

修行者「アダム様、創世記……」
俺「すみません。友達のレバノン人とこれからご飯を食べるので…」


その翌日も

修行者「アダム様…」
俺「ごめんなさい。用があるんで」


その後、彼女と顔を合わせる度に『創世記』の続きの話をされるため、プレッシャーを感じ、自然と遠ざけるようになってしまいました。この場を借りて謝らせて下さい。

彼女から少し距離を置いた後、世界各国からここに集まってきたさまざまな人と話しました。特に長期滞在している人と深く話をしました。アンマと長い間一緒にいる人のことをよく知れば、彼女の愛の本質を知れるのではないか?と思ったからです。
一週間ほどの滞在でなんとなく感じたことですが、ここで出会った人の多くが生真面目すぎて社会にうまく適合できず、ここでしか生きられない人が多いように感じました。もしかして、俗世間を離れ修行をするとはそういうことなのかもしれません。カリスマのいる宗教指導者の信者とがっつり話すのが初めてだったので、余計にそう感じたのかもしれません。しかし共通して感じたのは、皆、アンマに何らかの救いや強い想いを求めているということでした。

「アンマの抱えてるプレッシャー、デカイな」

救いや強い想いを求める人と深く関わると疲れるものです。普通の人はそれを避けます。俺は「『創世記』の続きを書いて欲しい」という強い想いから逃げてしまいました。しかし、アンマはそんなプレッシャーをものともしない素振りで毎日のように抱擁をし、多くの人の心の支えになっています。そうするにはかなりのパワーが必要です。それをやり続けている彼女は「本当に強くて優しい人だな」と思いました。アンマをもっともっと深く知ることができれば『愛とは何か?』の答えを知ることができるかもしれません。

その後、1960年代に世界3大ヒッピーの聖地として有名になったインドのゴアに行きました。そこで出会ったインド人で、その日暮らしをしているタトゥアーティストのヒッピーと、ヨガを教えながら世界放浪旅をしてるロシア人女性と一緒に旅をすることになりました。

インド人とロシア人のヒッピー友達

ゴアは気温が40度を越えていたため、北インドのヒマラヤ山脈にあるダラムシャラーというダライ・ラマが住んでいる町の隣村にあるアッパーバクスーという涼しい場所に移りました。そこは緑に囲まれた山中にあるなかなかピースフルな場所で、世界中の若いヒッピーやヨガプレイヤーが集まり生活していました。ゴアに変わる最新のヒッピースポットだそうです。 そこに住むヒッピーたちとシャンティー(ヒンディー語でゆったり・ピースフル、愛)に過ごしながら、初めて目の当たりにするヒッピーカルチャーの中枢にある「シェアの精神」を勉強しました。

北インド ヒマーチャル ダライ・ラマの住む隣の村 アッパーバクスー

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10年間喋らない修行をしているババと遭遇

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