コンテンツの作り手に必要なのはプロデュース力
柴田:話は変わりますが、今振り返って、高瀬さん渾身のテレビ番組企画って何ですか?また、その理由を聞きたいです。
高瀬:うーん。『逃走中』って言いたいところだけど、『NIPPON@WORLD』という番組かな。深夜放送だし半年で終わっちゃったから知らないと思うけど(笑)。海外で日本がどう報じられているかを調べて伝える番組。でも、この企画の根幹にあったのは「外国人に日本のことを褒められたら嬉しい」っていうナショナリズムをくすぐる、ということ。最近はこういう「日本サイコー」みたいな番組だらけになったけど、当時はぜんぜんなくって。『ここがヘンだよ日本人』みたいな比較文化をテーマにしたものはあったけど、日本人のナショナリズムをくすぐって視聴動機を喚起する考え方の番組はなかった。マスが動く動機は限られていて、「腹が減った」とか「良い男・良い女と絡みたい」とか「お金持ちになりたい」とか、根源的な欲求からしか動機を喚起できないと思っていて。
柴田:なるほど。
高瀬:なぜ渾身の企画かというと、テレビが人の根源的な部分をエンターテイメントにしたもので唯一やってなかったことで「ナショナリズム」があったことに気付けたから。このナショナリズムという人の根源的な部分を優しくマスエンターテイメントにしていく考え方は、これからのテレビの主流になっていく確信があった。でも当時の上司には「バブル期ならともかく、不況の日本の視聴者には合わない」と言われて。でも国が成熟しつつある中で、将来に漠然とした不安を感じているからこそ、ルーツとか民族とかブレないようなものにすがりたくなるっていうのが世の常。
柴田:たしかに今そういう番組多いですよね。
高瀬:そう。結果的に今、テレビのみならずいろんなメディアでナショナリズムをベースに考えられた企画やコンテンツが当たっているのを見て、当時の自分の気付きが、「答え合わせ」という意味では時代を感知できていたことになるから嬉しかった。その番組が続けられず、当て切れなかったのはちょっと悔しいですけどね(笑)。
柴田:なるほど、おもしろい話ですね。世の中の空気を読むみたいなところと、視聴者層をどう捉えるかですよね。
高瀬:そういう意味ではテレビはマスだから、観てる人って良くも悪くも大衆的。ゴシップ好きだし、なんだかんだ下世話だし、お気楽でいたい。俺もそうだけど(笑)。熱狂するものだけがほしいわけではないじゃない。鼻くそほじくりながら、そこそこ高みの見物できるくらいのものが丁度いい人もいる。そういうニーズに応えていくのも立派なエンターテイメント。今の時代、中々そういうコンテンツは出にくいですよね。一部のニッチを圧倒的に熱狂させてマネタイズするパターンがこれからは主流だから。だからこそマスということに希少価値がでる。そこにテレビみたいなメディアの優位性があると思っているんだけどね。
柴田:テレビの向かうべき方向性、これまでと同じようにはいかないと思うので、その中でコンテンツの作り手として果たすべき役割とか、キーワードはありますか?
高瀬:キーワードはプロデュース先行型だと思う。「テレビの世界」は、ずっとディレクションが一番大事だと思っていた。なぜなら世に娯楽を与えるメディアってずっとテレビしかなかったから、生活者はテレビを観るしかなかった。テレビ側からすると見せる努力、つまりプロデュース力って本質的には不要。だからその狭い器の中で切磋琢磨することになるから演出力、ディレクション力の勝負になっていた。近年はメディアが増える中で、どうやってコンテンツを世に出したり、知ってもらえるかが大事だし、一からビジネスモデルを考えることも必要になる。そういう意味では圧倒的にプロデュース力勝負になってくる。
柴田:たしかに選んでもらうことの重要性は増していますよね。
高瀬:テレビも選んでもらわなきゃいけない。プロデュース脳がない人はやっていけないと思うし、本当の意味でのプロデューサーはテレビ界には足りてないと思う。もちろん優秀な人は一杯いるけど、根本的に演出志向が文化として強いので。優秀なクリエイターは必要なんだけど、そういう人って別にテレビじゃなくても良くなっちゃってる時代。映画でもいいし、舞台でもいい。なによりインターネットの中に活躍の場所が無限にある。クリエイターに対してもテレビを選んでもらうっていう姿勢が必要だと思う。テレビの向かう方向性ということで言えば、テレビの優位性は免許事業であることではなくて、それに裏打ちされて作り上げた圧倒的なリーチ力しかない。だからその圧倒的なリーチ力を、どうマネタイズするかというプロデュースが必要。
柴田:なるほど。
本当の意味でのプロデューサーはテレビ界には足りてないと思う(高瀬氏)