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<純烈物語>「NHKホールでやるのが夢というよりも、NHKホールを特別な場にする」<第7回>

「いつかマッスルを世間のやつらにブチ込んでやろうぜ。なあ、坂井!」

 そんな彼らが自分のフィールドに戻って才能を磨き、将来的に一堂に会す場があれば誰もが楽しめる作品を生み出せるはず。自分がビッグになってそのステージを提供したいという思い、さらにはプロレスの枠内にしか届かなかったマッスルを、免疫のない層に見せたらさぞや痛快との企みがあった。 「いつかマッスルを世間のやつらにブチ込んでやろうぜ。なあ、坂井!」  葛飾区立石にあるマッスルメイツ御用達の焼肉店「牛坊」が誇る、あり得ないうまさのザブトンやカイノミに舌鼓を打ちながら、酒井がマッスル坂井の肩をバンバンと叩いていたのは2006年頃のこと。無煙ロースターの火力よりも熱かった。  プロレスという器を崩すことなく、その中で演劇的手法や映像を駆使し、笑いもシリアスなテーマも描いて見る者の心を揺さぶる唯一無二のエンターテインメントは必ず伝わると、ほかの世界を見てきた自分だからこそ持てる確信があった。もっとも、そうした背景など知る由もない芸能リポーターの皆さんだから、酒井が「結成前から応援してきてくれた人たちとやりたかった」と言ってもスルーされるのは当然。  酒井は、目の前に並ぶテレビカメラの向こう側にある世間との会話をソツなくこなしていた。「昔の仲間」の代表としてメンバーと並んだスーパー・ササダンゴ・マシン(マッスル坂井)と今林久弥のうち「売れる前から健康センターでステージの司会をやってくれた」と紹介されたことから今林がマイクを振られる。 「あの頃は本当に、50人ぐらいしかお客さんがいない会場だったんです。その頃から『紅白に出るんだ』って言ってはいましたけど……正直、そこまでいくとは思わなかったです。カズヨシ~すごいよ、おまえ~!」  完全に今林の役どころは、地元へ帰ってきたスターを子どもの頃から知っているとドヤ顔で語る親戚のおじさんだった。その間合いは、マッスルの時となんら変わらない。  今回の舞台演出を手がける小池竹見と双数姉妹を早稲田大学在学時から続け、ウィキペディアには「小劇場出身の俳優がテレビドラマなどで活躍が目立つ中、まだ注目されていない最後の大物の一人」と書かれるほどの存在ながら、世に出るにはいたらず2012年に劇団は活動を休止する。マッスル出演がきっかけでプロレス団体のDDTに携わり、現在はフロントスタッフとして勤務。  その一方、リング上ではアシスタントプロデューサーの肩書きで発表事のアナウンスや、試合結果や選手の要望を踏まえてカードを決定するといったポジションを担っている。マッスルで「鶴見亜門」として培ってきたストーリーテラーとしての手腕が、そこで生かされているのだ。  舞台と同じく人前に出る仕事ではあるが、役者としての成功は今林にとって、青春の忘れ物のようなもの。それを思えば、芸能リポーターに囲まれるシチュエーションは、あの頃に妄想していた情景の一つだったのかもしれない。
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マッスルのテイストで舞台をやるなら…
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