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<純烈物語>目に見える形で手応えが得られない……。歌い手・白川裕二郎が味わった苦悩<第18回>

「白川さん、考えながら歌いすぎですよ」。今でもファンによく言われる

 そもそも僕は“後ろ要員”(コーラス)で入ったんですから。でも、同じように誘われた西岡君が純烈を続けられなくなったことで(連載第11回参照)おまえがリードボーカルをやれよとなった。こうして続けている今も『俺、何やってんだろう?』と思う時があります。それまではどちらかというとアスリート的な道を選んできて、目に見えて鍛えた結果がわかる方が好きだったんです。でも、歌って声帯とかだから見えないじゃないですか」  スポーツ競技は数値や数字によって成果が見え、実感できる。相撲なら番付で自分が上がっているかどうかが一目瞭然だ。それに対し歌は進歩の形がつかみづらい。自分では上達したと思ってもボイトレの先生はダメだと言うし、逆に伸びないなあと悩んでいたら「うまくなったよ!」と言われる場合もある。  筋トレのように自分が好きでやっていればモチベーションも維持できるが、歌唱力はまったくの畑違い。うまくならなければと向上心を持って続けても、それが歌に対していいのかどうかの判別もつかなかった。 「今でもファンによく言われるんです。『白川さん、考えながら歌いすぎですよ』って。ステージから見えちゃっているんですよね。歌いながら、これをやったらダメだとかもっと楽な声の出し方があるんじゃないかなって、確かに考えている。スタートからそういう感じでやってきたから、染みついちゃっているんでしょうね。  ホントね、自分の実力のなさにがく然とします。ほかのメンバーが歌えるようになってきたから、みんなの方がうまいなと思ってしまう。そのたびに、自分は自分なんだからと思うようにはしているんですけどねえ」  人生初の博打に出ながら、勝ったか負けたかの手応えさえつかめぬ日々が続いた。一度は踏ん切りをつけたつもりだったのに、役者の方へ心が戻りそうにもなった。じっさい、純烈をスタートさせたあとも出演の話は舞い込んでいた。その頃は、余りあるほどの時間があったので、出ようと思えば出られたのだが……。 「確かに時間はあるんですけど、それが純烈の活動とぶつかる可能性がある限り、メインの自分がいなかったら成り立たないからセーブをかけられて。あの時、せっかくオファーをかけていただいた方々には今でも申し訳ないと思っているんですけど、後ろ髪を引かれる思いで断っていましたね。  だからよけいに、続けられるなら役者もやりたいと思うようになった。そういう時に、リーダーから言われたんです。『役者を続けるって、セリフがあるのかないのかみたいな役どころで満足しているのか? そうじゃなくて、紅白に出て売れればそっちの方から番手が上がっていくんじゃないか』と。コツコツとやるのも素晴らしいけど、そういう形でグレードを上げるやり方もあるということだったんでしょうね」  歌い手として成長の感触がつかめぬ中で、純烈は出航当初は大海を迷走していた。ムード歌謡をやるという名目で集まったのに、ステージでは米米クラブやSMAPを歌っていた。白川と小田井はなんとか家賃が払える程度の給料をもらっていたが、ほかのメンバーは違った。食えていない仲間たちを見て、申し訳ない気持ちになるのも嫌だった。
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トレーニングに励むなか、襲いかかった「悲劇」
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