震災時でも「お客様第一」を貫いた従業員たち
震災により自らも甚大な被害をうけながら、利用客の帰宅を最優先に行動した福島「スパリゾートハワイアンズ」の従業員たち。そんな彼らに当時の状況を語ってもらった
小山健一さん ●新潟・栃木県営業担当
「あのとき、僕ら全従業員の最重要課題は『いかにしてお客様をご自宅へ安全に送り届けられるか』でした」と語るのは、スパリゾートハワイアンズで、新潟・栃木県エリアの営業担当として働いていた小山健一さん。営業という職種で培われた土地勘の高さから、地震発生の翌日12日の朝7時にホテルに出勤した後、下山田支配人に「東京までのルートを辿ってくれ」と指示された。
「お客様の多くが東京方面の方だったので、ネットやテレビで東京への道路状況を調べたものの、確実な情報はゼロ。だったら自分たちで道を開拓するしかないという話になったんです」
数時間後、小山さんを含めた4人の従業員が2班に分かれ、ハワイアンズから東京までの帰宅経路を検証することになった。
「常磐道は無理だという情報は入っていたので、ひとつのチームは海沿いを走る6号線ルート。私たちは、内陸の49号線から入って4号線を使うルートで東京に向かうことになりました」
だが、海沿いの6号線ルートは、津波の被害がひどく、ほぼ通れない状態だったため、もうひとつのチームは、早い段階で東京行きを断念した。
「『海沿いのルートはダメだった』との報告を受け、『これは、自分たちが行けないとまずいな……』と責任感が増しました。また、乗客数が多いとなると、トイレなどもコンビニで借りるわけにもいかないので、『ここには道の駅がある』など、実際に帰宅時に立ち寄ることになりそうな休憩所や店の情報も収集していました」
そして、ハワイアンズ出発から約12時間後。小山さんは、無事東京に到着。その朗報は下山田支配人に携帯メールで伝えられ、翌日13日の早朝9時に、18台のバスが小山さんのルートを辿って東京への帰路に就いた。余震も続いている状況下、捨て身でルート探索に行くとは。まさに、陰の功労者と言えよう。
― 福島「スパリゾートハワイアンズ」復活の軌跡【4】 ―
この特集の前回記事
【関連キーワードから記事を探す】
家庭も職場も父親が支配…絶望する20代男性に、取引先社長が放った“救いの言葉”
「いっしょに暮らそう」突然現れた見知らぬ老人の正体は…怒りと絶望に苛まれた40代男性の思い
「助けたのに感謝の一言がなく、ダメ出しまで…」イラッとした相手への対応の正解。ひろゆきが考える“ズルい”言いまわし
「体を弱らせる国の陰謀」エアコンをつけない主義の母が心変わりした“まさかの出来事”
“退職金2500万円”を奪われた60歳独身男性「まさか彼女が…」幼馴染の女性との哀れな顛末
“復興”とは程遠い現実。「無人の町で、家畜と暮らし続けた男性の10年」を描いた理由
「長熟させる日本酒」――今、日本酒が面白い理由
きっかけは「獺祭」。今、日本酒が面白い
東北3県で「被災した文化財」。修復には1000億円、10年以上がかかる
福島県南相馬市が生んだ官能ラッパーを直撃「9割の女性の“潮”を吹かせられる!」vol.3