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スパリゾートハワイアンズで被災した記者が再訪 復活の軌跡をたどる

 3月11日、筆者はスパリゾートハワイアンズ(以下、ハワイアンズ)で被災した。それから、東京に帰るまでの3日間で出合ったいくつもの“奇跡”を記した手記は、小誌および小誌ウェブサイトにて掲載され、予想を超える大きな反響を呼んだ。その内容は、有給休暇をとり、家族サービスに来ていた筆者が被災した際に見た従業員の“行為”についてだ。彼らも被災者でありながら利用者のために誠心誠意職務を全うしてくれた。家族はどうなっているのか? 親戚は? 友人は? 気掛かりなことは多くあっただろう。しかし、彼らはその行為で体だけでなく、筆者たちの心を救ってくれた。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。「行為」だと気づかされた、というものだった。ネットでの閲覧数は数百万単位となり、mixiでは1000件を超える日記が書かれ、ツイッターでは数千回もリツイートされた。

※福島県いわき市「スパリゾートハワイアンズ」の奇跡

 あれから、約200日。確かに、ハワイアンズは休業中であった。が、彼らは決して、止まっていたわけではない。例えば、炊き出しだ。市内にある湯本高校や藤原小学校といった、さまざまな避難所に赴き、炊き出しを実施したのだ。彼ら自身も被災者であり、ライフラインが止まっているなんて当たり前。自宅が全壊し、避難所から通っていた従業員もいたそうだ。想像を絶するホスピタリティだ。

 さらに、被災者の受け入れも実施していた。5月23日~9月10日という長期間にわたり、福島県広野町在住の被災者、約550人を避難所として受け入れていた。

 なかでも、復興を目指す象徴的な活動となったのが「フラガール全国きずなキャラバン」である。5月3日を皮切りに、海外を含む全国125か所を訪問し、累計247回もの公演をやりきった彼女たちは、称賛に値するだろう。

 度重なる大きな余震、そして日を追うごとにひどくなる風評被害に苦しみながらも、彼らは止まることなく動き、踊り、走り、有形無形の苦難を乗り越え、10月1日、ついに営業再開の日を迎えた。

 そして10月3日、あの日泊まることができなかったハワイアンズに宿泊させてもらうこととなった。

 16時に東京を出発し、19時にハワイアンズに到着。早速、ロビーに入り、チェックインする。実は、3月11日はチェックインする前に被災し、チェックインしないままにホテルを後にした。震災当日、先にプールで子供と遊んでいた筆者はこれが初めての、チェックインとなった。

 振り返り、ロビーを眺める。第一避難所になったのがこのロビーで、布団にくるまり、玄関から入る寒風に耐えていたことが、思い出された。携帯電話の充電器で、足の数が尋常じゃないたこ足配線になっていたカウンター裏のコンセント、大行列となった公衆電話、あっという間に売り切れた自動販売機……。一つ一つに、強烈な思い出がある。ようやく、戻ってきたことを、実感した。

 部屋に入り、一息ついてから、寝泊まりしていた大ホールへと向かう。宿泊者にとってリビングであり、ダイニングであり、寝室であった、この大ホール。しかし、現在改修中で中を見ることはできなかった。4月11日に起きた直下型地震の影響で、ここ以外にも、プール施設(現在改修中)などがかなりのダメージを負った、ということである。そのため、現在ハワイアンズは大ホールやプール施設など、一部施設を除いて運営される“限定営業”であることを付記しておく。

※2012年2月8日、営業を全面再開した。

― 福島「スパリゾートハワイアンズ」復活の軌跡【1】 ―




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