芸能人の死に“追悼コメントしない”と批判? 不気味な圧力は日米共通
女性4人組ロックバンド「赤い公園」のリーダーで、ギターと作曲を手掛けていた津野米咲さん(1991-2020)が、10月18日に亡くなりました。状況から、自殺と見られています。
そんななか、SNS上でちょっとした場外戦が繰り広げられてしまいました。追悼コメントを出さない関係者への批判が一部から起こるらしく、「アジアン・カンフー・ジェネレーション」の後藤正文(43)が反論したのです。
“追悼するのが当たり前”という全くもって余計なお世話に対して、10月19日、次のように返した後藤氏。
「追悼の意を140字で示さないやつは悼んでいない、なんて思うことの想像力のなさよ」、
「言葉にできないこと、あるいは言葉にしないこと。飲み込むのに時間がかかること。ここが世界のすべてじゃあるまい」とツイートし、追悼を催促するような声に疑問を投げかけていました。
当然のことながら、後藤氏の発言に共感が集まり、故人を偲ぶ行為は他人から強要されるものではない、との意見が多く寄せられていました。
わざわざSNSで有名人に食ってかかる人が世論の趨勢を反映しているわけでもありませんから、これをもって嘆かわしいと言うのも、ちょっとナンセンスでしょう。しかし、それでも気になるのは、アイコン的な存在が亡くなると、人々の間で、おせっかいと過剰な共感のスイッチが入ってしまうことです。
つい最近、その被害にあったのが デイヴィッド・クロスビー(79,アメリカのフォークロックグループ「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」などで活躍)。先日亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレン(1955-2020)についてコメントを求められ、「別に…」と答えたところ、大炎上してしまったのです。
一般人だけでなく、ハードロックのミュージシャン達からも「クソみたいに失礼」とか「あの口ヒゲが大嫌いだった」と、袋叩きに合っていました。
その後、クロスビーは自身のツイッターで謝罪に追い込まれるハメに。決して褒められた対応とは言えないものの、悪気はなかったと釈明しました。
さて、こうした圧力が浮き彫りにするのは、一体どんな感情なのでしょうか? 幸いにして、日本ではクロスビーのような殺伐とした事例は起きていない雰囲気ですが、逆に“みんなで追悼をしなければ”といった機運を無理やり高めようとする声は見受けられるように思います。
自らのバンドのみならず、SMAPやモーニング娘。などへの楽曲提供でも高い評価を得てきた津野さん。交流のあったミュージシャン仲間も、こぞって哀悼の意を表しています。
「OKAMOTO’S」のベーシスト、ハマ・オカモト(29)は自身のインスタグラムにツーショットを掲載し、「いい曲をたくさんありがとう。悲しいよ。」とだけコメント。悲しみの大きさがうかがえます。自身がプロデュースするモー娘。への楽曲提供を受けたつんく♂(51)も、「今後のアイドル界隈のあり方とか。作曲について、とか、長い時間語り合ったのを思い出す」とツイート。
まだ29歳。突然の死に、いまだ衝撃が収まりません。
アジカン後藤正文の、もっともな反論
E.ヴァン・ヘイレンの死に「別に…」と答えて大炎上
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