更新日:2023年02月21日 14:45
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『宇宙戦艦ヤマト』松本零士が物申す「武蔵は日本人自ら引き揚げろ」<松本零士さん追悼>

漫画家の松本零士さんが2月13日、都内の病院で急性心不全のため亡くなった。85歳。2015年3月10日発売の週刊SPA!では、『宇宙戦艦ヤマト』で知られる松本さんが、フィリピン・シブヤン海沖で発見された「武蔵」に対する思いを熱く語っている。「武蔵は世界最大・最強だっただけでなく、最先端の技術で造られていたのです」と語る松本さんのインタビューからは、豊富な科学知識と調査取材を作品に投影してきた、松本作品の凄みがうかがえる内容となっている。謹んで故人のご冥福をお祈りするとともに、あらためて掲載する。
松本零士さん

松本零士さん

『宇宙戦艦ヤマト』松本零士が物申す! 武蔵は日本人自ら引き揚げろ

 戦後70年という大きな節目を前に、海の神、わだつみがそっと教えてくれたのだろうか……。  3月3日、旧大日本帝国海軍が建造し、今なお「世界最大」で「史上最強」と謳われる大和型戦艦の二番艦「武蔵」が、マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏により、フィリピン・シブヤン海沖で発見された。  全長263mで、基準排水量は実に6万5000t。46cm砲3連装3基9門など、当時としては最新鋭の装備を誇ったが、大戦末期の‘44年10月、レイテ沖海戦で集中砲火を浴び撃沈。戦後、何度か行われた水中探査でも沈没地点がわからなかったため、「海流に乗って今もどこかを彷徨っている」といった都市伝説が生まれたほどだった。 「(武蔵は)まさにエンジニアリングの驚異であり、建造に至った技術と努力に対し、一人のエンジニアとして当時の造船技術者たちに深い尊敬の念を覚えます」  武蔵を発見直後、アレン氏がこんな哀悼ツイートを出したこともあり、今回、戦争を知らない世代にも思いのほか反響が広がっている。が、この喧噪をよそに、在りし日の武蔵の勇姿に思いを馳せる人物がいる。 「とうとう見つかったかという思いで、涙が出そうです……」 『宇宙戦艦ヤマト』の生みの親であり、これまで多くの人気SF作品を世に送り出してきた松本零士氏は、そう絞り出すように当時の思い出を話し始めた。 「実は、私が18歳の頃に住んでいた本郷の下宿に、武蔵を護衛していた重巡洋艦『最上』の副長が引っ越してきて、武蔵の最期について詳しく聞いていたんです。最上もかなり被弾し、何とか生還した彼からは、大和と武蔵の設計図面を譲り受けました。戦中なら最高機密ですが(笑)。こうして大和の構造をすべて知っていたからこそ、のちに『宇宙戦艦ヤマト』を描くことができたわけです。そんな数奇な巡り合わせがあり、武蔵には不思議な縁を感じますね。副長は『ものすごい艦だった』と述懐していましたが、武蔵は世界最大・最強だっただけでなく、最先端の技術で造られていたのです」  名作『宇宙戦艦ヤマト』のフォルムの大きな特徴のひとつに、喫水線の下の艦首が球状になった「バルバス・バウ(球状船首)」がある。この形状にすることで船がつくる波の抵抗を打ち消す先端技術だが、半世紀以上も前に、すでに武蔵はこの技術を採用していたのだ。 「ヤマトのバルバス・バウはちょっと誇張してデザインしましたが、最上の副長から託された設計図面があったので描けた。今、世界中の船は小型のボートでさえこの形状を採用しているくらいで、当時の日本の技術力に驚きます。こんなに広まるのなら、ヤマトを描いたときに特許を取っておけばよかったかな(笑)。先端技術はこれだけでなく、艦内にスペースドアーマー(空間装甲)を設け、仮に砲弾に貫かれても壁の向こう側に被害が及ばない構造を持っていた。シブヤン海海戦でも、魚雷20本、爆弾17発、そして無数の至近弾と、おそらく世界海戦史上もっとも多く被弾しながら、長時間沈まなかった戦艦が武蔵だったのです」

武蔵は日本人の士魂 武士道の最後の象徴

 因縁浅からぬというべきか、実は、松本作品には武蔵を登場させているものもある。旧帝国海軍が秘かに建造した超大型戦艦が生き続け、その時代時代の人類の敵と戦うという『超時空戦艦まほろば』(‘93~’98年)には、海中を漂流する武蔵をまほろばが見守り、鎮魂するかのようなシーンが描かれているのだ。 「武蔵は、当時の日本人が全身全霊を懸けて造った艦です。その武蔵が沈んだ悲壮な出来事を、日本人として忘れたくない。だから、作品に登場させました。武蔵は日本人の士魂で、武士道の最後の象徴です。換言すれば、日本人の信念そのものが海を渡っていたのです。武蔵は沈没後に砲塔が脱落し、回転しながら流されていったのでしょう。だから、なかなか見つからなかった。沈没した武蔵は、海中で自らの重力と浮力が偶然つり合い、戦後も漂流し続けている……というロマン溢れる逸話が生まれたのもこのためでしょう」 松本零士さん 陸軍航空部隊の古参パイロットだった父を持つ松本氏は、7歳で終戦を迎え、占領下の辛酸を舐めており、その経験は作品の随所に見られる。 「占領されるのがいかに惨めか……。私は幼心に、占領軍の施しは受けん! と、米兵がバラまくキャンディは足で踏み潰して歩いていました。ある日、家の近くに落ちていたキャンディをこっそり食べたこともありましたが、まぁ、それはもらったわけじゃないので(笑)。戦争に負けて、日本人は亡国の民となったが、歯を食いしばって耐えてきた。だからこそ、立ち直りも早かった。振り返れば、黒船が砲艦外交で迫ったときも、欧州のとある王室は、日本人の精神の強さを見抜き、『日本には手を出すな』と厳命を下していたほどなのです。そんな日本人の士魂を象徴するのが武蔵なわけで、日本はすぐに深海調査船を派遣し、自らの手で船体を引き揚げるべき。そうでなければ、祖国のために戦い散った武蔵の乗組員やその家族の思いはどうなるのか……今も胸が張り裂けるような思いになりますよ」  武蔵が沈んでいるポイントが水深1000mということから、すでに引き揚げ困難との見方が報じられているが、日本政府はこれまで沈没船の引き揚げはもとより、戦火に散った英霊たちの遺骨収集を疎かにしてきた経緯もある。今回の一報を受け、フィリピン政府が調査に乗り出すことを表明しており、日本政府もただ指をくわえて見ているだけでなく、何らかの手立てを模索すべきだろう。
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ポール・アレン氏は日本に武蔵を寄贈するつもり!?
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