チバユウスケ氏が死去「長生きしてもしょうがない」数十年来の付き合いがあるバンドマンが語る、その素顔
元THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、ミッシェル)のボーカルで、バンドThe Birthdayのギターボーカルであるチバユウスケさんが、11月26日に死去したことが発表された。
その音楽も生き様も唯一無二のロックであった故人の思い出を投稿し悼むミュージシャンも多い。そして、漫画家の井上雄彦氏をはじめ、各界から悲しみの声があがっている。
そんなチバさんと、アマチュア時代の福岡での共演をきっかけに仲良くなり、数十年来に渡ってお酒を飲む友人であったという福岡のあるバンドマンに、若き日のチバさんとミッシェルについて聞いた。
話を聞いたのはナオキさんという男性で、若い頃から福岡を中心に若い頃から現在に至るまでバンド活動を続けている人物だ。
「ミッシェルと初めて対バンしたのは、1995年の2月で雪が降った日。場所は当時は博多駅の近くにあったDrumBe-1っていうライブハウスやったね」と、出会いを回顧する。
ミッシェルはシングル『世界の終わり』で1996年2月にデビューしているので、ちょうど一年前ということになるが、「俺らが呼んだのが十数人で、ミッシェルは2〜3人やったと思う。わりとガラガラだったよ」という。
その後の活躍を知っていると、集客が2〜3人とは信じられないが、当時はまだ、“全国的に大人気”というバンドではなかったようだ。
ロックといえばギターサウンドが中心の音作りとなるが、そうしたサウンド面ではどうだったのか。
後に爆音で世界を魅了するミッシェルだが、当時のチバさんは音のバランスに独特なこだわりを持っていた。
「ミッシェルのリハで、チバちゃんがギターを弾く曲でも、PA(音響)さんに『ギターの音はアベ(ギタリストで2009年死去)9に対して、俺は1で出して下さい』って頼んでたのが可笑しかったね」(ナオキさん、以下同じ)
アベフトシという、後に世界中を魅了することになるギタリストの音を、バンドのサウンドの最前面に出す意志があったことが伺える。
「あの頃、俺もパブロック(ミッシェルのルーツになった音楽の一つ)が大好きだったんやけど、当時はパブロックと言うと、古臭くて田舎臭いイメージを持たれとった。でも、ミッシェルを見た時『歌詞とメロディーがオシャレだなぁ』と感心したのをよく覚えてる」
1960〜70年代にイギリスを中心に流行した古い音楽が、ミッシェルによって新しさを纏って世界に広がっていく萌芽がそこにあったのだ。
「客が十数人のライブハウス」の思い出
自分の音を前に出さなかった
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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