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キャバ嬢の職場は都心から郊外へ…地元キャストとの間でトラブルも

「夜の街」で長く働いてきた人たちが、いきなり別の仕事に鞍替えできるわけではない。コロナ禍でもお金を稼ぎ続けなければ生きていけない現実もある。  その最たる例が、新宿・歌舞伎町のホストクラブで発覚した「クラスター」と呼ばれる集団感染。東京都の営業自粛要請期間にも多くのホストクラブで営業が続けられていた実態も報じられた。  ホストクラブがそうであるならば、キャバクラはどうだったのか。

ホストクラブはこっそり営業、キャバクラは?

キャバ嬢

写真はイメージです(以下同)

「一部のガールズバーなどを除けば、新宿、六本木や渋谷にあるほとんどのキャバクラは自粛していました。銀座や六本木のクラブでコロナ感染が広がっているという噂が出回り、その後、実際に報道されました。こうして危機感が強まったためです」  こう話すのは、六本木のキャバクラ店店長(30代)。約2か月間店を閉め、5月の下旬に時短営業という形で再開したが、客の入りはイマイチだった。そして現在、店長のいちばんの悩みは「女のコがいない」ことだという。 「この2か月の間に、半分以上の女のコが辞めていきました。再開してから戻ってくれたコもいますが、やはり感染を怖がったり、客が来ないなら稼げないということでシフトに入ってくれないんです」(キャバクラ店店長)  女のコたちは、どこへ行ったのか。都心部の店が苦境に立たされるなか、そこで働くキャバ嬢たちが2か月の間、黙って家に閉じこもっていたのかといえば、そうでもない。  地方や郊外に活路を求め、まるでジプシーのように彷徨う姿があった。

地方や郊外の店を彷徨ったキャバ嬢たち

「夜の街」新宿・歌舞伎町

「夜の街」新宿・歌舞伎町

 勤務していた歌舞伎町のキャバクラ店を4月上旬に辞めたというりりかさん(20代・仮名)が振り返る。 「歌舞伎が無理になったから、最初は船橋(千葉)にいって、その後は相模原(神奈川)のお店に流れました。都心を離れると営業している店があって、それなりにお客さんも入っていました」(りりかさん)  とはいえ、歌舞伎町の店で働いていた時の時給「7000円」には遥かに及ばぬ時給だったことも明かす。 「最初は4000円って言われて、ないよりマシかと思っていたんですけど、やっぱりお客さんが来なくなっちゃって。最後の方は時給2000円プラス歩合って感じ。完全に“お茶引き”(客がゼロ)の日もありました」(同)  “歌舞伎町”のブランドを使えたりりかさんは、まだマシな方かもしれない。都心から少し離れた埼玉県内のキャバクラ店に勤務していた高橋かすみさん(10代・仮名)は、りりかさん以上のジプシー生活を強いられた。 「お店に歌舞伎とか六本木、ブクロ(池袋)で働いていた子たちが流れてきたんですよね。店も、歌舞伎とか六本木の女のコが来る、って宣伝して。私たちはヘルプに回されました。結局、店はゴールデンウィーク前に閉店……。  昼職しようにも求人はなくて。そこで、私はツテをたどって新潟や高知のキャバで働きました。どこも、都会で仕事がなくなった女のコが一定数いて、地元のコとの関係もぎくしゃくしていましたね」(かすみさん)  コロナ禍をなんとか乗り切ろうという夜の女性たちからは「できるなら昼の仕事をしたかったが、仕事がない」という声が多く聞かれた。  全国に緊急事態宣言が出ている中、営業しているキャバクラがあること自体が問題、と思う人もいるだろうが、彼女たちも生きるために必死なのだ。
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