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スナックで愛されない老人の「お店では見せない」シャイで寂しい横顔

2年経った今も変わらず…

 袋の中身は本だ。互いの共通の趣味が読書であると知ってから、時折中村はわたしに読み終えた本を持ってくる。専ら一方的に本を渡される側なので、中には既に読んだものもあれば、未読のものもあった。その日渡されたのは、グレアム・ムーアの『シャーロック・ホームズ殺人事件』(上)(下)と鯨統一郎の『ニライカナイの語り部』、それからアルフレッド・べスターの『破壊された男』。幸いどれも未読だった。毎度のラインナップから、本の趣味は悪くないと思うのだが、いつも表紙がめちゃめちゃに折れ曲がっていたり波打っていたり、ブックオフの値段シールが貼りっぱなしになっているので、書籍大事にしたい派のわたしは、一体どういう扱い方をしているんだと突っ込みたくなる。  中華料理屋の卓上で交わされる話題はすっかり本へと移り、レモンサワーを一杯頼むごとに、中村はいつも通りの耄碌した中村になっていった。司馬遼太郎の話をしていたかと思えばいつの間にかアイザック・アシモフになっていたり、フィリップ・K・ディックの話をしていたかと思えばいつのまにか平岩弓枝の話になっている。どのタイミングで話が切り替わったのかさっぱりわからない。そもそもこちらの話はまったく聞いていない。非常に疲れるのだがとりあえずご機嫌でなによりだ。わたしは適当に相槌を打ちながら、このあとか後日か、彼が無事にスナックに来れば任務完了だなぁとかそんなことを考えていた。  帰り際、中村は再度中華料理屋を絶賛していた。 「この店は良い! 気に入った! 安いのにいっぱい出てくる!」  そう言うわりに、餃子以外にはほとんど手を付けずに酒ばかり飲んでいたのであるが。 「俺はよぉ、冷やし中華が大好きなんだよ」 「そうなんだ?」 「来月から冷やし中華が始まるって書いてあったから、また来ような。お前にも奢っちゃるからよ」  その前にまたトラブルを起こさないと良いけど、と思いながらわたしは「ありがとう」とだけ言った。  あれから二年が経った。  結局、冷やし中華は食べに行かずに済んでいるが、中村は最近また姿を潜めている。酔って他のお客と派手に喧嘩をし、今回は本格的にヘソを曲げたようだ。酒乱は死ななきゃ治らない。いい歳なので、こんな状況下でコロナに罹ってくたばりでもしなきゃ良いがと思っているのだが、元気に飲み歩いている目撃情報もあるので、まだ当分はあちこちで暴れるのだろう。  冷やし中華を食べに行くのは御免だけども、時々こうして中村が頭をよぎる。  そして次に会ったときにも、大体二時間ぐらいでウンザリして思うのだろう。  もう当分会わなくていいや、と。<イラスト/粒アンコ>
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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