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世界が認めた最高位ダンサー・飯島望未が「バレエ界の異端児」と呼ばれる理由

 アメリカで4番目の規模を誇り、世界中から集まった実力者がしのぎを削る「ヒューストン・バレエ団(Houston Ballet)」。そこで飯島望未は’07年、当時最年少の16歳でプロ契約し、昨年には日本人として3人目のプリンシパル(最高位ダンサー)となった。 飯島望未 そのファッションも言動も前衛的であるがゆえに、ときに“バレエ界の異端児”と評されることもある彼女。さまざまな逆境をはねのけ頂点を摑んだ女性ダンサーの素顔に迫った。

踊るのが楽しいとかはまったくなかった

――名門バレエ団のプリンシパルには、誰もがなれるものではないと思います。ましてや、’16年にチューリヒ・バレエ団に移籍し、’17年に今のヒューストン・バレエ団に戻ってきていますよね。そこからプリンシパルになるのは難しかったのでは? 飯島:難しかったというよりも、必死にやっていたらそうなっていたという感覚です。世界中からレベルの高いダンサーが集まってきている中で、役を取るためには全力を出す以外の方法がないですから。 ――ヒューストンに戻ってきたのはなぜですか? 飯島:新しい自分を発見したいと思ったからです。ヒューストンはクラシックバレエが主体なのですが、チューリヒはコンテンポラリーを踊れることを求められるので、そこでは監督には気に入ってもらえず、役がもらえませんでした。それなら私を必要としてくれる場所でクラシックバレエを極めようと思い、ヒューストンに戻りました。 ――バレエを始めたきっかけは? 飯島:6歳のとき、私の姿勢が悪いのを矯正するために、母がバレエ教室に連れていったんです。そこで、周りが踊れるのを見て自分だけできないのが悔しかった。「この子たちより絶対にうまくなりたい」っていう闘争心を初日から燃やしていました(笑)。バレエが好きだからとか、踊るのが楽しいとかはまったくなかったんです。

1年でダメやったら日本に帰ってこよう思ってた

――お母様もそこまで必死になると思っていなかったのでは? 飯島:そうですね。母子家庭で、兄、弟、妹の4人きょうだいだったので、裕福ではなかった。それで小学生4~5年生くらいのとき突然、「お願いやからバレエやめて」と言われて。 ――よく続けさせてくれましたね。 飯島:私から条件を出したんです。15歳でアメリカに留学して、1年でプロになれなかったらバレエをやめると。ただ、留学にはお金がかかるのでどうしようかと思っていたところ、当時出場した「ユース・アメリカ・グランプリ」の日本予選で3位になり、ヒューストン・バレエ団へ留学する奨学金をいただきました。 ――1年で結果を残さなければならないプレッシャーは相当なものだったと思います。 飯島:学費はすべて免除でしたが、浮かれてはいられませんでした。毎日、誰よりも遅くまで残って練習したのですが、日本での“右に倣え”みたいなものが体に染みついて、自分の色や個性を出せない日々がもどかしかったですね。  アメリカ人と比べたら当時の自分は凡庸で、監督の目に留まろうと必死でした。技術だけなら私のほうが上やのに、なんでこのコが選ばれるんやろうと悔しい思いをすることもありました。 ※9/1発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです 【Nozomi Iijima】 ’91年、大阪府生まれ。バレエダンサー。6歳からバレエを始め、米ヒューストン・バレエ団と当時最年少の16歳でプロ契約を結ぶ。昨年ヒューストン・バレエ団のプリンシパルに昇格。VOGUEやHarper’s BAZAARなどのモード誌でモデルとしても活動 取材・文/金明昱 撮影/北山郷介
週刊SPA!9/8・15合併号(9/1発売)

表紙の人/ 今田美桜

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