更新日:2021年01月09日 09:38
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<純烈物語>「紅白に出られても伝わらなければ忘れられてしまう」リーダー酒井一圭が緊急事態宣言下考えていたこと<第79回>

「100本飛んだということは100日分、純烈は空いていますよ」

「100本飛んだということは100日分、純烈は空いていますよ」という酒井が吹いた犬笛だった。これが届き、山本浩光マネジャーの電話がバンバン鳴るようになる。  リモート出演だったが、初めてつながる関西や九州の番組スタッフも大変な思いで動いているのを見て、自分たちが献身的にやることで関係性を継続させようという姿勢になった。情勢さえ変わっていけば、それが次はスタジオで、その次はロケでと仕事の幅が広がっていく。この頃の純烈は、とにかくテレビへの露出に活路を見いだそうとしていた。 「やっぱりテレビに出ないと、コンサートにいこうとしていた人たち隅々にまで伝わらないじゃないですか。絶対にテレビじゃないとダメだと考えて、テレビとつながる形をとった結果、また呼んでくれたりいろんな人たちが見てくれたりにつながった。だから、2020年はすごくテレビに出た一年だったという印象です。

「紅白に出られても、伝わらなければあっという間に忘れられてしまう」

 僕らとすれば紅白に出られても、伝わらなければあっという間に忘れられてしまう。でも生きていかなきゃいけない。そこで稼働もしていないのに会社が給料をキープしてくれたのは大きかった。マイナスを抱えても給料を保証してもらっているなら、俺らも動いて1万円でも5000円でも入るように持っていかなきゃダメでしょという、いたって普通の動機なんだけど、そういうのもあって結果的に一番テレビに出た年でしたよね」  それまでの2、3年はとにかくライブの需要が大きく、語弊を恐れずに言うなら敷かれたレールの上を全力で駆け続けたようなものだった。それがコロナにより途絶えたことで、自分たちで道を拓いていく必然に迫られた。  結果論ではあるが、その意味で2020年の酒井一圭と純烈は例年以上にアクティブだった。テレビやラジオ、あらゆるメディアに露出し、ドラマも制作、コロナ禍におけるライブの可能性を模索し具現化、そしてちゃんと3年連続紅白歌合戦出場という目標にも到達できた。
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酒井に流れる「あばれはっちゃく的なもの」
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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