仕事

「出張シェフ」として脱サラした29歳、半年で最高月収60万円に

 フードデリバリー配達員を筆頭にしたギグワーク(単発の仕事)のほか、ランサーズやクラウドワークスといったクラウドソーシングサイトの普及により、副業の選択肢が増えている。また、専門的な知識を持っていれば、タイムチケットやココナラのようなスキルシェアサービスを使い、時間の切り売りで稼ぐのも手段のひとつだ。
福士将太

フリーランスの出張シェフとして活躍する福士将太さん(29歳)

 コロナ禍で副業への関心がより一層高まっているなか、「出張シェフ」という新たな働き方を実践し、収入を着実に増やしているのが福士将太さん(29歳)だ。  フリーランスの料理人として脱サラし、今年4月から出張シェフ1本で生活しているという。ここまでの最高月収は60万円、そんな出張シェフのやりがいや懐事情について本人に聞いた。 【画像をすべて見る】⇒画像をタップすると次の画像が見られます

イタリアへの料理留学で本場の雰囲気を体感

 福士さんが料理に関心を持つようになったのは、アルバイト先でキッチンの仕事と出会ったときだったという。 「最初はファミリーレストランでキッチンの仕事だったので、単純作業を中心にこなしていたのですが、そこから少しずつ料理人になろうと考えるようになりました。本格的なレストランで働こうと思い、吉祥寺にあるイタリアンレストランに未経験で飛び込みました」  しかし未経験ゆえ、料理人として本来の仕事である調理はなかなか任せてもらえず、雑用ばかりやらされていたそうだ。  自分には合わないとアルバイト先をあれこれ変えるも、なかなか定着しない日々が続く。「行き当たりばったりになっていた」と福士さんは当時を振り返る。 「こうなったら、まずはイタリアへ行って、本場のイタリアンを体感して学びを得ようと考えたんです。必死にアルバイトでお金を貯めてなんとか費用を工面し、23歳でイタリアへ料理留学に行きました」  初めの2ヶ月は語学学校でイタリア語を学び、その後は現地にあるレストランの門を叩いた。 「全部で3軒のレストランで働かせてもらいました。まず、トスカーナ地方にあるルッカという小さな町にある星付きレストランに行ったのですが、さすが定評のあるお店だったこともあり、本場のイタリアンのすごさを肌で感じる体験をさせてもらいました。その後は、地元の人に愛されるようなイタリアの郷土料理を提供するレストランで修行を積みました。日本風にアレンジされていないイタリア料理を垣間見れたことで、自分にとってすごく学びになったのを覚えていますね」  特に「いきなり現場の仕事を任せてもらえたこと」が福士さんにとって大きかったという。 「『日本人はできる』と勝手に思われていたこともあり(笑)、パスタの調理など実際に料理の工程を経験させてもらえたんですよ。日本の飲食店では下積みが大事で、料理は一切やらせてもらえなかったので、環境の違いには驚きました。おかげで、料理の腕も少しずつ上げることができたんです」

料理長への昇進は考えずに出張シェフの道へ

福士将太 ビザの更新が切れるタイミングで帰国した後、知人の紹介で銀座1丁目のイタリアンレストランへ入社。正社員としては初の店舗だった。  そこで2年ほど経験を積んでからは、またも知人の紹介で武蔵小杉のイタリアンレストランへ転職し、今度は副料理長として働くことになる。 「副料理長のポジションでは、コース料理のメニュー決めや食材の選定など幅広い業務を担当するようになりました。今までは目の前の調理に集中するだけだったのが、一気に視野が広がったんです。ここでの経験は今でも活きていると思っていますね」  雇われで勤めながら、さらに経験を積んで料理長を目指す。そしていつかは自分のお店を出店し、オーナーシェフとして独立する——。  一般的にシェフのロールモデルとして描く青写真だが、福士さんに限っては「料理長にはなりたくないと当時から思っていた」と話す。 「先輩である料理長の働きぶりを見て、自分には無理だなと感じていました。ポジションが上がればその分大変になるし、プライベートも削られてしまう。また、収入アップもあまり見込めないと思っていたので、今の仕事をやりながら副業を探すようになったんです。色々と調べていくなかで『出張シェフ』というワードにたどり着き、とりあえず登録するところから始めました」
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半年足らずでフリーランスへ
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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