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田尾安志、最後まで埋まらなかった三木谷オーナーとの溝「口を出すなら直接言ってほしかった」

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは?あの行動の真意とは?天才打者と評された男が選んだ、新球団初代監督というポスト。田尾安志のキャリアを形作ってきた信念に迫る。

「オーナーから僕へ直接質問や文句がくることはありませんでした」

田尾安志 東北楽天ゴールデンイーグルスの初年度は、フロントと現場の野球観の違いがすべてだった。オーナーの三木谷と、現場で指揮をとる監督の田尾との齟齬が、戦況に少なからず影響を与えた。 「若いオーナーだからいろいろ言ってくるだろうという思いは就任したときからありましたよ。でも、口を出すなら直接僕に言ってほしかった。間に人を挟むと、正しく伝わらないことが多いですから。何度もそう言ったんですが、オーナーから僕へ直接質問や文句がくることはありませんでした」  田尾は爽やかな表情を崩さないものの、目の奥に勝負師特有の鋭さをたたえて続ける。 「試合にボロ負けしてオーナーが発言したことが次の日の新聞に大きく掲載されると、『こんなこと言ってない』となるんですよね。サッカー(楽天が実質的に運営を務めるヴィッセル神戸)でも同じようなことを言っていると思うんですけど、サッカーだと大きく載りませんから。案外出たがりだったんですよね」

身を削る覚悟を持って臨み続けた田尾

 チームは開幕から1か月もたっていない4月29日に11連敗を喫する。その翌日、フロントは山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広バッティングコーチの降格を発表した。 「まだ4月ですよ。普通、有り得ないことです。2人とも僕が連れてきたんで、もし彼らが『辞めたい』と申し出ていたら、僕もその時点で一緒に辞めていました」  そんな事態が起こりながらも、田尾は監督を引き受けた以上、身を削る覚悟を持って臨み続けた。 「戦力が足りないことは開幕前からわかっていたので『外国人助っ人だけはいい選手を取ってきてもらえませんか』とフロントに頼んでいました。シーズンに入ってからは、ソフトバンクの王監督やロッテのバレンタイン監督に『来季、この選手をもらえないか』とずっと交渉を重ねていたんです。2人とも、球界の発展のためにと非常に協力的でした」  いわば、田尾はシーズン中からすでに2年目以降を見据えて戦っていた。数年かけて強いチームを築き上げようと考えていたのだ。しかし、オーナーは目先の勝利を求め続けた。前述のコーチ降格人事と同様のケースで、ヴィッセル神戸では’04〜’05年の2シーズンで6人の監督の首をすげ替えたこともあった。すぐに結果が出ないと納得がいかない性なのだ。
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怒りをにじませながら当時を語る広岡
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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