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田尾安志、最後まで埋まらなかった三木谷オーナーとの溝「口を出すなら直接言ってほしかった」

怒りをにじませながら当時を語る広岡

田尾安志

田尾安志氏

 そんななかで、意外にも楽天はGMにあの広岡達朗を迎え入れようと画策した時期があった。当の広岡は、怒りをにじませながら当時をこう語る。 「あのときは田尾と話をしたうえで『よし、来季もやれ』とハッパをかけ、三木谷にも田尾続投を勧めた。そして現在の選手、コーチを留任させたうえで、新たな人材を追加するコーチ人選を固めてフロントに提案したんだ。『これらのコーチを呼ぶのに4000万〜5000万円くらいかかる』と言うと、『そんなに出せない』と断ってきた」  広岡にとって、田尾は西武時代の教え子でもある。田尾の側に百戦錬磨のコーチ陣を据えることで選手を育てる環境を整備する計画を考えたが、フロントに一蹴され、“広岡GM”構想は露と消えた。

耐えかねて吹き込んだオーナーへの留守電

 夏場にはこんなこともあった。 「レポートを書かされました。まず1位と6位の差はどういうことかを説明するところからです。5勝4敗で16クールやると144試合で貯金16。4勝5敗だと借金16。今の楽天の場合だと、9試合で3勝6敗の借金3の状態。  その内容を見ると、1試合平均得点が3.5で、平均失点が6.1。これじゃあ当然勝てません。来季、平均得点を3.5から4点台にすることは、王さんとの交渉もまとまりつつあったので可能だろうと。  ただ、失点を6.1から減らすにはいいピッチャーがいないと難しい。ピッチャーの補強さえうまくいけば勝負にはなる。ただ、そのレベルにはまだ年数がかかるといった内容のレポートでした」  シーズン中、監督にレポートを書かせるなど前代未聞だ。実はこのレポートにはわけがあり、2度目の11連敗を喫した8月23日に島田球団代表から「明日負けたら休養」と勧告されたことが発端だ。
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志半ばでその役目を終えることになった新球団の初代監督
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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