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モラハラ加害者が陥る“正義依存症”。他人を責めるとき「爬虫類のような目をしている」

正しさへのアディクションとしての暴力

 被害者の方から「加害者は責めるとき異常な表情になり残忍な喜びの表情を浮かべる」と聞きます。僕も妻から、「爬虫類のような目、全く別人のような顔になる」と言われていました。  このときの記憶は非常に曖昧になり、次の日には言った言葉もほとんど忘れてしまいます。よく加害者が記憶を飛んでいるのを「嘘ではないか」と思う方がいますが、少なくとも僕の場合は本当に記憶が飛んでいました。  アルコールを飲んでいる時のブラックアウト、すなわち意識が飛んでいる状態に極めて近いのです。脳内麻薬が強烈に出ているのか、一種の解離状態になっていて、思い出せないがために反省もできないという最悪の状況になっていました。  どんな時に加害者は人を責めるのでしょうか。それは、自分の弱さや愚かさに向き合いたくないときです。目の前の自分にとって不都合な現象の責任を誰かに何もかも押し付けたとき、自分がこの苦しい現実から遠く離れることができるのです。

人を罰して裁く快感と引き換えに失うもの

「無罪」になりたい。  正しさを自分のものとしたとき、強烈な気持ちよさがあります。人を罰するとき、裁くとき、自分はとめどないドーパミンとアドレナリンに酔っていました。その時のことを思い出すと、何か胸に(今となっては恐ろしいので不快な)高揚感があります。  人を支配し世界のすべての道理を自分と一体化させる時、人は抗い難いほどの快楽を覚えます。だから加害者は「自分が正しい」「相手が間違っている」「傷つけられたから自己防衛だ」と残忍にニヤついた笑いを浮かべながら攻撃をするのだと今では考えます。  攻撃することで自分の弱さ、不完全さ、傷つきから目を背けているのです。  だから、加害をやめたくてもやめられない。強烈な快感が忘れられない。それによって愛する人が離れてしまっても、それでもやめられない、どんどん悪化していく、自分もやめたいと思いつつ、快楽に抗えない。  そうして、加害者は孤独になります。
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DVやモラハラは自己否定を回避するための依存症
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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