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激しく傷つけあった翌日、なし崩しに再開される日常。それがモラハラ家庭の風景だ

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どんなに常軌を逸したやり取りがあっても、平然と繰り返される日常。それ自体が異様であることも気づけずに……

何事もなかったかのように、謝罪もせず再開される日常

 こんにちは。DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。  僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になり、ようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観を自覚しました。現在は日々自分の言動を改善しながら、妻と関係を再構築させてもらっています。  この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、無自覚に加害を行っている方々の参考になれば幸いです。  活動の中では加害者の人生を振り返る機会が多いのですが、そうすると加害者たちには驚くほどの共通点があることがわかります。  その1つが「両親の仲直りをみたことがない」というものです。それは、僕自身もそうです。  家族が罵り合ったり、怒鳴りあったり、物が壊れたり、喧嘩によって楽しいはずだった旅行がめちゃくちゃになったりしても、お互いを責めるだけで謝ったりしません。 「お前が悪い!」「あんたの方こそ!」「怒らせるようなことをするな」「こっちのセリフだ」「何度も言わせるな」「いい加減にして」  お互い自分の問題を認めないのですから、相手を責めるしかありません。どちらが相手に責め勝てるか、という虚しい戦いが繰り広げられます。  何度も何度も同じようなことで喧嘩し、その度に家の中が最悪の空気になっても、何も学び変わることがありません。そこで育つ子どもたちは、話し合うことの方法や意義がわからないで育ちます。  仲直りとは、 1.起きてしまったよくなかった状況や雰囲気を認め、 2.お互いが「自分の(相手の、ではない)」直すべきところを認め 3.相手を傷つけてしまったことを謝り、 4.一緒に生きていくために変わろうとすること 「話し合う」と言い換えてもいいかもしれません。これは、どんな人間関係においても、一緒に生きていきたいのであれば、とても重要なことでしょう。  こういう家で育ったことのない人にはわからないかもしれませんが、そんな家庭でも日常は続いていきます。前の日の夜にひどい喧嘩になって、最悪な空気のまま、みんなが眠りについても、次の日の朝はやってくるのです。

いつか爆ぜる爆弾を家庭内に抱えたまま

 どんなふうに朝が始まると思いますか?  それはなし崩し的な日常の再開です。次の日くらいはまだまだ緊張感がありお互いピリピリしているものの、徐々になんとなく、たいした理由もなく元の空気に戻っていきます。誰も謝ることはありません。  子どもたちは気を遣っていつもより機嫌よく振る舞ったり、何もなかったようなふりをして家族としての会話をおこないます。早く「元の」幸せな家族に戻りたいのです。わざわざ話を蒸し返したりしてどうなるでしょうか……。  あのよそよそしい朝の感じ……無理に笑っている感じ、何かを誤魔化したように始まっていく日常への違和感を思い出すと、今も寒々しい気持ちになります。  ずっと喧嘩をしているわけではないので、そのうち仲良く、平和な生活が始まります。しかし、そこにはなんの話し合いも、仲直りも、目に見えては行われません。ただ、何かに目をつむって、また同じことが起きるまでそれを繰り返すのです。  それは、いつ爆発するかわからないけれど必ず爆発する爆弾が、家の中に常にあるようなものです。楽しい時もあるからこそ、その環境の暴力性に気づくのにはずいぶん時間がかかりました。
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壊れた空気を立て直すことは、「謝罪」にならない
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