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「自分のほうこそ被害者だ」と主張する人々は話を盛る傾向がある

一見「パートナーのほうがヤバそう」に見える相談

 ある事例では、このような形で相談が始まりました。 「今回の喧嘩のきっかけは、僕が女性支援のための活動をしている団体に寄付をしたことでした。そんなことにお金を使うくらいだったら自分にお金をくれと怒られて……なんで怒られなきゃいけないのかわからず、喧嘩になったんです」 「それに、僕の友人が不景気で仕事が減っていることについて何度か相談に乗っていた時も、『なんでそんな利益にならないことをするのか』と怒られたり、妻は友人を家に招くのに自分はダメだと禁止されたりしていて……」  彼はそんなふうに小さな怒りや悲しみを抱えて、最後にはこう言いました。 「自分は普通の暮らしをさせてもらえない。妻の奴隷にならなきゃいけないのか、と思います。これが結婚ならもう嫌だ。夫婦だけじゃなく、人と人とが助け合って生きていくのが大切だと思っていたのですが、この考え方は間違っているんでしょうか」  一見「加害者」が普通の人で、奥さんの方こそヤバい人なのではと思う人も多いでしょう。DV・モラハラを知らない人が素直に聞けばそう思うのも自然な内容です。  しかし、多くの加害者・被害者の方々と話を聞いていくと、だんだんこういった話を額面通りに受け取ることはしなくなっていきます。同じ現象に見えても、立場が違えば全く異なった形に見えてくるからです。  そもそも、本人は「離婚したくない」と思ってGADHAに来てくださっているわけですが、これだけ見ると明らかに相手に不満を抱えています。  すでに関係の危機もあるので、両者が合意しているなら離婚してもいいはずなのにしない、その背景には何があるのでしょうか。

逆の立場から見れば全く違う世界に

 そこで僕は以下について尋ねました。 「もしかして、あなたはパートナーのお金の使い道をかなり厳しく制限したり、ひとつひとつあなたが許可を出すような形にしていませんか?」 「パートナーが友達の相談、愚痴を聞いていることを馬鹿にしたり、どうでもいいことのように扱っていませんか? 例えば電話で相談に乗っているのを、無駄だからやめろと言ったりしていませんか」 「同僚や友達を家に連れてきた時、遅くまで飲み続けたり、パートナーに迷惑をかけたりしたことはありませんか?」と。  そう尋ねてみると、彼は全てについて程度の差はあれ「確かにそうです」と答えました。つまり、この相談内容は、妻の視点からは以下のようにも語り直すことができます。 「彼は会ったこともない女性には10万円も寄付をするのに、家計に関することには許可なしには物を買わせない。私の優先順位はそんなに低いんだ……と絶望しました」 「彼は、そんな一銭にもならないような相談に乗ってる暇があったら掃除でもしろよと言って不機嫌になります。でも、彼はこちらは晩御飯の準備もしているのに、いきなり当日に友達の相談に乗るからと予定を簡単に変えたり平気でします」 「私が友達を家に呼んでいるのは主に平日の日中で、彼がいないときです。別に部屋が汚くなるわけでもうるさくなるわけでもありません。それなのに、彼は平日の夜や土日に遅くまで友達を家に呼ぶことを同じようなことだと思っているんです。掃除するのも準備するのも誰だと思っているのか……彼の身勝手にはもう本当にうんざりなんです」  というように。  彼は話をしているうちに「確かにそうかもしれない……。いま、ハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃を受けています」と言っていました。このように世界を見たことが今までで一度もなかったのです。
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加害者変容に必要なのは、同じ知識を持った仲間
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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