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<水島新司先生追悼> ‘70年代のちびっ子は『ドカベン』から全てを学んだ

 またひとり巨星が墜ちた。『ドカベン』、『あぶさん』、『野球狂の詩』など後世のスポーツ漫画にも多大な影響を与えた野球漫画を描き続けた水島新司氏(以下敬称略)が、今月10日に肺炎のため東京都内の病院にて亡くなった。82歳だった。

荒唐無稽な魔球にはない「野球の戦術・戦略」の面白さ

野球漫画の第一人者として知られる水島新司氏。’58年に漫画家デビューしてから’20年に引退を宣言するまで、じつに63年間にわたって第一線で活躍し続けた。

 水島新司といえば、『ドカベン』が代表作でもある。’72年(昭和47年)10月から連載が開始。沖縄返還と同じ年であり、今年でちょうど連載開始から50周年の節目の年だった。  野球漫画の金字塔として知られる『巨人の星』(原作・原案:梶原一騎 作画:川崎のぼる)は’66年(昭和41年)の巨人V9初期に連載を開始し、星飛雄馬の大リーグボールといった魔球によって爆発的人気を博した。そこで日本には“スポ根ブーム”が巻き起こったが『巨人の星』の連載終了から1年後に産声を上げた『ドカベン』には、荒唐無稽な魔球など一切出てこなかった。  個性的なキャラクターたちが魔球に頼るのではなく、野球そのものの戦術・戦略を駆使して躍動する姿は、子供だけでなく野球を知る大人にも本格野球漫画として認知された。『巨人の星』の作画担当を務めながらも野球をまったく知らなかったという川崎のぼると、野球を愛してやまない水島新司の画力の差が如実に出たとも言えるだろう。とにかく、高校野球を舞台に水島氏が描く個性的なキャラクターが躍動する姿が、当時のちびっ子から大人までに愛されたのは間違いない。

連載開始当初は柔道漫画だった

『ドカベン』の連載が開始した時、筆者はまだ4歳だった。あまり知られていないが、『ドカベン』は単行本6巻まで柔道漫画だった。野球編になったのは連載開始から2年も経ってからだ。ちょうど筆者の小学校入学と、主人公である山田太郎たちが神奈川の明訓高校が入学した時期が重なっている。 『ドカベン』を知ったのは、’76年10月からアニメ放送がスタートしてからだ。オープニングではテーマ曲に合わせて野球をしている画が流れているのに、本編では山田らが一向に野球をやらず柔道に打ち込んでいても別に変だとはまったく思わなかった。ちびっ子からしてみれば、その頃は野球どうこうよりもずんぐりむっくりの山田太郎、巨漢の葉っぱの岩鬼正美、ズラズ〜ラの殿馬一人のキャラクターがわかりやすくて抜群に面白かったからだ。  小学3年生くらいになると、山田たちが高校一年夏の甲子園大会で優勝し、秋の県大会から関東大会での激戦がリアルタイムで連載されていた。誰かしら友達の家に行けば必ず『ドカベン』の単行本があり、みんなで回し読みして一喜一憂していた感じだ。
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ドカベンを真似て……
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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