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<水島新司先生追悼> ‘70年代のちびっ子は『ドカベン』から全てを学んだ

ドカベンを真似て…

 筆者が『ドカベン』で最初にインスパイアされたのは、単行本10巻の最初のページに出てくる「神奈川を制するものは全国を制す」という文言だ。’70年夏の東海大相模、’71年夏の桐蔭高校、’73年春の横浜高校が甲子園を制しており、現実の世界でも神奈川県が超激戦地区だった。だが、小学3年生のちびっ子には、その文言のまったく意味がわからなかった。まず“制す”の意味がわからない。母親に聞いても「神奈川は東京の隣だから都会ってことよ」と言う。子ども心に適当に言っていることだけはよくわかった。それから大人を信じられなくなった。  まず山田たちのライバルで一番最初に目についたのが、東海高校の巨漢の雲竜大五郎。身長180cm、体重120kg。とにかく太ったキャラが出てくれば何かやってくれると、当時のちびっ子ははしゃいだものだ。1年夏の県大会前、雲竜が河原での打撃練習でボールを当てずに風圧だけで50メートル飛ばす“豪打・真空切り”を見せ、山田たちを驚かせている。ちょうど少年野球団に入ったばかりだった筆者は、打撃練習で空振りして味方からヤジが飛ぶと、「豪打・真空切りを練習してるんだって!」と言い訳をしていた。ここから誤魔化すことを覚えた。  同じく山田率いる明訓のライバルであった白新高校の不知火守は、とにかくカッコよかった。ピッチャーをやっていた筆者が不知火のように帽子のツバにハサミで切り込みを入れて投げていると、監督に呼ばれて練習中ずっと正座をさせられた。家に帰ると、母親からこっぴどく叱られ、「物を粗末にするのは不良の始まりです。物を大切にしない子はうちの子じゃありません」と言われ、「大人は大袈裟だな」と冷ややかな目で見ていたものだ。

なかなか出てこなかった「鳴門の牙」

 水島先生にとって高校1年夏の甲子園の最大の目玉は、土佐丸高校の“鳴門の牙”こと犬飼小次郎の登場だ。“鳴門の牙”という単語が初めて出たのは、明訓が甲子園へ経つ数日前。ライバルの不知火、雲竜が山田のために打撃投手を務めているとき、突然、雲竜がピッチャープレート2メートル前から投げ込み出した。山田はあまりの速さに打てず、こんなボールを投げる人がいるのかと尋ねると、雲竜の吹き出しには「鳴門の牙」と大きめの級数で表示されていた。小学3年生の筆者は「鳴門 牙」というキャラクターの名前だと思い込んでいた。甲子園大会ではとんでもないピッチャーとして「鳴門 牙」が登場するのを心待ちにしていたが、一向に出てこなかった。  結局、“鳴門の牙”とは土佐丸高校の犬飼小次郎だと気付くのだが、衝撃的だったのは土佐丸高校が標榜する野球が“殺人野球”だったこと。スパイクの刃をヤスリで削って尖らせる描写が子供心ながらにカッコいいと思い、早速真似をした。ゴムのスパイクだったがヤスリで尖らせ、足を上げてスライディングをした。監督にすぐ見つかり、往復ビンタをされた。  とにかく、犬飼助次郎は闘犬大会で優勝した横綱の土佐犬「嵐」を勝手に宿舎に連れてきて、練習以外の時間は犬小屋の中に入って過ごしているのだ。この土佐犬が野球の練習でも要となり、盗塁練習では二塁に嵐を置いてスチールの練習をしている。ユニフォームのボタンを閉めずに上半身をはだけさせ、太い手綱で土佐犬を引き連れ、長いもみあげを携えている犬飼小次郎のやさぐれ感がたまらなかった。そんな姿を見た僕らの間では、土佐犬ブームが沸き起こった。みんなで一匹ずつ土佐犬を飼おうと誓い、親に「土佐犬を買いたい」と強くねだった。母親は「はいはい、土佐犬ね」と言い、しばらくして「きちんとお世話するのよ」と捨て猫を僕に押し付けた。割と大きめなトラ猫だったため「土佐犬にしては小さいなぁ」と思いながら猫を闘猫にしようと鍛えたものだ。
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たった一度しかなかった明訓の敗北
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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