300万円元手に400億円のスニーカー企業に。アトモス・本明CEO「転機は母の2時間の説教」
近年のスニーカーシーンは盛り上がりを見せ、市場はさらに拡大し続けている。普段使いで購入するスニーカー好きはもちろん、投資やリセール(二次流通)の対象としてもスニーカーが脚光を浴びているのだ。
そんななか、国内でスニーカーブームを牽引してきたショップが「atmos(アトモス)」である。品揃えの豊富さや、人気ブランドとの別注・限定モデルを取り扱うなど、独自性と商品力を兼ね備えているのが強みとなっている。
本明さんはアメリカの大学を卒業し、繊維商社でキャリアを歩み始める。だが、会社で働くことに対して苦手意識を感じてしまい、2年で退社することに。その後、生計を立てるために始めたのはフリマでの物販。
明治公園や代々木公園で開かれていたフリーマーケットに毎回出店し、古着や時計、キャラクター人形、スニーカーなどさまざまな商品を販売していたという。
しかも、出した商品は飛ぶように売れ、月に100万円以上稼いでいたそうだ。なぜ、これほどまでに売り上げを出すことができたのだろうか。
「もともとアメリカに住んでいたのもあり、現地で物を仕入れて日本で売れば確実に儲かるなと思っていました。なので、会社を辞めてからは年8回ほど渡米し、売れそうな物を目利きしながら片っ端から仕入れることを行い、日本へ持ち帰ってフリマで売ることを繰り返していたんです。元手はというと、私が持っていた75万の軍資金では足りないので、嫁が75万、母親が150万と計300万円を集めてビジネスを始めましたね」(本明さん、以下同)
フリマの物販で大きな収益を上げることに成功し、会社組織として本格的に始動したのは1997年。テクストトレーディングカンパニーを立ち上げ、原宿キャットストリート沿いにスニーカーショップ「チャプター」を出店させた。
従業員は身内の4人だけだったが、1年目で年商7.5億円を売り上げ、幸先いい好スタートを切る。そして2000年には、原宿にアトモス1号店を出店し、順調にビジネスを拡大させていくことになる。
アトモスを出店させたことで、今まで取り組んできた並行輸入の事業に加え、正規販売の事業も手がけるようになったという。
そんなアトモスの名が一気に広まったのは2003年。アトモスがナイキと異例のコラボを果たし、別注の「エアマックス」を発売したのだ。
大きな反響を呼び、スニーカーフリークに愛される不動の地位を築くきっかけにもなった。
「NIKEのスニーカーで言えば、並行輸入品はチャプターで販売していたので、アトモスでは海外の展示会やNIKEジャパンから仕入れた商品を販売していました。昔から並行輸入のビジネスをやっていたので、“隙間”がわかるというか、『これを出したら絶対売れる』という感覚がわかったんです。また、ナイキとの別注商品の販売も2003年くらいからやっていますが、たまたま知り合いづてでお願いしたことで実現しました。商売は大局観を読むことや人間関係が大事だなと思っています」
今回はアトモスを立ち上げ、スニーカーシーンを語る上では外せないFoot Locker atmos Japan合同会社 CEO兼チーフ クリエイティブオフィサーの本明秀文(ほんみょうひでふみ)さんへ、スニーカーのトレンドや今後の未来像について話を聞いた。
アメリカで仕入れた商品をフリマで売って「100万以上稼いだ」
売れ筋を掴む「感覚」が商売には大切
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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