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300万円元手に400億円のスニーカー企業に。アトモス・本明CEO「転機は母の2時間の説教」

母親の言葉で気づいた「本気で商売に取り組む姿勢」

 その後も会社自体は、良くも悪くも緩やかな平行線をたどりながら、事業を続けていたという。しかし、本明さんにとって転機になった出来事が2011年に起こる。  当時、癌を患っていた母親に「今のまま、のらりくらりと会社を続けていても時間の無駄。やるなら真面目にちゃんとやってほしい。人生は一度きりなので、調子に乗らないで事業に集中する気構えを持って」とカフェで伝えられたそうだ。 「母親から2時間くらい説教されました。それまではお金に困らないくらいの感覚がちょうどいいのではと思っていて。会社経営の途中で手を緩めたり、貪欲な姿勢よりも安定を求めたりしていたんですね。でも、母親からの言葉を聞いて『もっと真摯に頑張らないといけない』と思うようになりました。それ以来、事業を成長させるために商売のことだけを真剣に考えるようになった。とにかく商売繁盛のため、全力を尽くすことだけ意識するようになりました」

最初はアトモスではなくチャプターで食べていた

 現在、アトモスは国内外合わせて50店舗を展開している。  今でこそアトモスは、スニーカー好きにとって定番のショップになっているが、「アトモスが軌道に乗り始めたのは、ほんの7、8年くらい前で、それまでは上手くいっていなかった」と本明さんは振り返る。 「実はアトモスの経営に関して、しばらくはノータッチでした。私の妹が切り盛りしていたんですが、アパレルも靴も思うように売れなくて。母親が癌になってからは、妹がつきっきりで母親の面倒を見る必要があり、私がアトモスの経営にも携わるようになりました。そして2013年に『スポーツ ラボ バイ アトモス(Sports Lab by atmos)』を新宿へ出店したことで、さまざまなスポーツブランドとコラボした商品が話題を呼び、次第にアトモスの事業が上向いてきたんです。実際のところ、アトモスの調子が良くなるまでは、昔から継続していた『チャプター(現在は閉店)』で食っていたんですよ」  そんなアトモスだが、生粋のスニーカーマニアに支持され続けたのはもちろん、スニーカーを愛してやまないスタッフと共に築き上げてきたブランド力は、まさに不動のものと言えるのではないだろうか。
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高齢化社会の影響
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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