更新日:2022年05月06日 22:18
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首は頭を支え、手首は手を支えている。では乳首は何を支えているのか?

乳首が支えているものについて、答えの出ない議論をした

 もちろん、乳首は重要な器官だ。特に女性においては子供に母乳を渡す重要な器官となっている。けれども、何かを支えるとなるとどうしても「首」「手首」「足首」ほどの重要性がないように思えてしまうのだ。もちろん、位置的にも乳を支えているわけではない。 「ほら、命とか支えてんじゃねえの」  遠山さんがそう言った。おそらく母乳とかを想定してのことだと思う。 「命を支えているとまではいえねえな」  タツさんが反論する。 「快感を支えているのかもしれん。おれ、乳首攻めの風俗とかはまってた時期あるし」  タツさんのとんでもないカミングアウトが飛び出した。誰も五反田の乳首攻め風俗のことは聞いていない。 「快感を支えるっておかしいでしょ」 「いや、おれの快感は乳首なしでは成立しない」  こうして「乳首はなにを支えているか」問題で僕らの議論は白熱した。しかしながら、こうした議論は往々にして結論を導き出さない。世の中に存在する多くの議論めいたものは、参加者全てが納得して結論に行き着くことはない。堂々巡りを経て迷宮へと入りこんでいくものだ。

乳首は夢や希望を支えているのか

 結局、僕らの議論もどこにも行きつかなかった。乳首が何を支えているのか。わからないままだった。 「たぶん、乳首は夢や希望を支えているんですよ」  僕はそんな言葉で議論を終わらせる。もちろん、本当に乳首が夢だとか希望だとかそういったものを支えているとは思っちゃいない。ただ、その言葉には有無を言わさず納得させる眩さがあるのだ。 「夢かあ。たしかに五反田の乳首攻め風俗には夢があった。本当に乳首攻めだけしか存在しないんだよ。あれは本当に夢だった」  タツさんがそう言った。乳首は俺たちの夢を支えていると言わんばかりだ。 「確かに希望だったな。俺、めちゃくちゃ田舎の出身だったけど、山奥にエロ本が捨てられている場所があったんよ。そこにハサミもっていってな、乳首だけを切り出してファイリングしていた。そうすることで未来があると信じていたんだろうな。いつかこの田舎町から抜け出してやるって」  遠山さんがそう言った。乳首を切り出す異常性と田舎を抜け出すことの関連性が全く分からないけれども、そこには希望があるという口ぶりだった。乳首は希望を支えている、そう納得させるなにかがあった。 「乳首は夢や希望を支えている」  議論が収束しつつあった。なんとなく、そうではないのだけどそうであるかのように忖度する気持ちがあったのだと思う。こんな不毛な議論をいつまでも続けていられない、そんな「夢」や「希望」が持つ眩さに結論を押し付けた向きがあった。その生ぬるい状況を浅井さんが一喝する。 「冗談じゃねえ。乳首が夢や希望を支えているわけねえだろ」  ドンとテーブルをたたく重い音が響き渡る。
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強硬に反・乳首論を主張しはじめた浅井さん
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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