恋愛・結婚

パートナーとの喧嘩を「お互い様」と言ってしまう人がダメ人間まっしぐらな理由

「お互い様」という言葉が、パートナーシップにもたらす深刻な影響とは

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そもそも、「お互い様」とは傷付けた側が言う言葉ではないのである

 DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。  自分が相手を傷つけていることを自覚しても、なかなか変わるのが難しい人がいます。そういう人がつい言ってしまうことの1つが「でも、相手にも加害的な部分はあるんですよ」「夫婦でどちらかだけが完全に悪いってことなんかあるんでしょうか?」などの言葉です。  思わず口に出してしまうこのセリフの背景には一体何があるのでしょうか? 使ってしまう時はどんな時でしょうか。それは、相手が自分の言動を改めてほしいと依頼するタイミングです。 「〜するのはやめてほしい」「〜されたくない」「今度から〜してほしい」と言われた時に「でもさあ」という言葉と共に出てくるのがこのお互い様という言葉です。 「お互い様でしょ。確かにそれはこちらも悪いところがあるかもしれないけど、じゃあそっちはどうなのか。言ってなかったけどあれだってこれだって……」  これはつまり「こちらも完璧じゃないかもしれないが、あなたも完璧じゃないだろう」という意味になります。  そして踏み込んでいうならば「だから、そんなことを言う資格はそちらにない」ので「私は変わらない」ということになります。  一言で言うと、これは責任放棄の言葉です。

人間関係を短絡的な「取引」として考えている

 何の責任かというと、「相手を傷つけてしまうような言動を控える」責任です。相手が自分にとって大切な人であれば、相手を傷つけないようにすることはとても自然なことですが、その責任を放棄するということです。  それは違う言い方をすれば「一緒に幸せな関係を築いていく」責任の放棄でもあります。冷静に考えてみれば、相手が自分を傷つけているとして、自分が相手を傷つけていることを「やめない」理由になるでしょうか。相手を傷つけているなら、やめたらよいのです。相手を幸せにしたいなら、必須の行動でしょう。  そう考えると、さらにもう1段階深い理由が眠っているようにも思えます。  なぜ「やめてほしい」とか「こうしてほしい」と言われた時に「じゃあ、そっちはどうなんだ」と反撃し、「お互い様」なのだし「そちらも完璧ではない」のだから、「自分を変える気はない」と言えてしまうか。  その理由は、人間関係を短期的な取引だと考えているからです。二人で仲良く生きていくためのお願いは、そういう人にとっては交渉だと理解されます。  交渉なので、できるだけ自分の損を少なく、利益を最大化しようと考えます。コミュニケーションが争いであり、奪い合いであり、ゼロサムゲーム(誰かが得をすると誰かが損をする、全体としての財が一定であるようなゲーム)なのです。
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良いパートナーシップは”プラスサムゲーム”である
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる


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