更新日:2022年09月02日 20:15
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「ryuchell & peko離婚」から考える“結婚”と“入籍”の決定的な違い

文/椎名基樹

りゅうちぇるが感じた“夫”と“男”の違い

 ryuchell(元・りゅうちぇる)が離婚を発表した。離婚届を提出し、法律上の夫婦関係は解消したが、今後も「人生のパートナー」として妻のpecoと一緒に暮らしていくという。pecoの出産以降、取材で夫としての立ち位置で話す機会が増え、「“夫”であることは正真正銘の“男”でないといけない」とつらさが募ったそうだ。  このような取材のほとんどは、きっと最初から「かわいいルックスをしたイクメン」の「新しいお父さん像」という決まったイメージを求めているはずである。ryuchellは「仕事」として、その要求に応えざるを得なかっただろう。  しかし、相手の求めるものに応えて、自己の内面に嘘をつくことは自己否定であり、非常に苦しい。そんなことを続ければ自分を嫌いになってしまう。結局、新しい夫像とは、「かわいいルックスでありながら、甲斐性という男の責任を果たしている」という、従来的なマチズモを求めているに過ぎない。  私の知り合いで、自分の子供が高校を卒業したタイミングで、「もう責任を果たしたので好きなようにさせてもらう」と宣言して、女装で暮らしている男がいる。なんと不器用なと思ったりもするが、それほど、生物学的な「性」とジェンダーの問題は、複雑だということだろう。単純に同性愛、異性愛というだけでなく、様々な着地点がある。

プライベートを切り売りする人の宿命

 そして「結婚」は、どんな結果になり、どんな心情になるのか「やってみなければわからない」。特にryuchellの場合のように、世間が自分に求めてくるものまで、想像することは難しいだろう。  さらに、自分たちの子供をもうけるということは、ジェンダーの問題と全く別次元のように思える。  私の知り合いのように、プライバシーが確保されている人間ならば、意志の力で忍耐をして、責任を果たしたと感じたならば、自分の好きなように生きることも可能である。  しかし、ryuchellのようにプライベートを切り売りする者は、背負いきれないパブリックイメージを貼り付けられて、苦痛を感じることもある。ryuchellの負った苦しみは、ジェンダーの問題ではなく、プライベートを切り売りする者の職業的な宿命だ。  今回、ryuchellの取った行動は「良い夫業の看板は下げます」というだけだ。
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「同性婚議論」に神社がだんまりを決め込むのは無責任
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1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

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