ニュース

植田日銀、初の記者会見では「模範解答」も、本当に景気を回復させるまで監視が必要だ/倉山満

日銀は過去4度にわたって景気を破壊した

 4回浮気して別れた男が「今度こそ浮気しません」と宣言、ヨリを戻した。岸田文雄首相はなんでこんなにややこしい人事をしたのかよくわからないが、とにもかくにも新日銀総裁に植田和男東京大学名誉教授が就任した。4月10日、就任後初の記者会見が行われた。結論は一つ。「景気が回復するまで、景気回復策をやめません」だ。あなたは信じる?
日銀新総裁に就任した植田和男氏

日銀新総裁に就任した植田和男氏。10日の初会見で、長期化した大規模金融緩和の副作用に配慮はしつつも、物価上昇率2%を目標に現行の金融緩和策を「継続する」と明言した 写真/産経新聞社

 日銀は、過去4度にわたって、景気を破壊した。バブルをクラッシュさせた三重野康、失われた10年をもたらした速水融、小泉改革を潰した福井俊彦、リーマンショックで日本を一人負けにした白川方明。  それが在任10年に及んだ黒田東彦総裁によって、ようやく景気回復が見えてきた。低金利政策を強要する黒田路線に、銀行や債券村は悲鳴を上げていた。副作用である。しかし黒田総裁は「一部の金利で食っている人たちに一時的に泣いてもらっても、経済全体を回復させる方が先決だ」と聞く耳持たなかった。だから、一部には嫌われた。  前任の黒田総裁の任期末期、日本中のメディアが黒田叩きに狂奔、「さっさと黒田を辞めさせろ」と金切り声をあげていた。本欄くらいではないか?「円安ドンと来い! 黒田叩きなど恩知らずもいいところだ!」と庇ったのは。  しかし、今の植田総裁は「黒田路線を引き継ぐ」と再三再四に渡り宣言している。なぜ叩かない? 植田氏が東大名誉教授で、学界の重鎮だからか? とんだ権威主義だ。  ついでに言うと、10年前に岩田規久男学習院大学教授の総裁就任が取沙汰された時、「学者に総裁が務まるのか」と反対論を繰り広げた人々は、なぜか沈黙している。ご都合主義、極まれり。

2年で終わらせるつもりだった黒田路線

 さて、黒田前総裁が進めた景気回復策とは、どのようなものだったか。  黒田総裁が就任した’13年、日本は失われた20年のデフレ不況だった。デフレとは、モノの流通量に対し、貨幣の量が足りず、モノの値段が下がり続けること。働いても働いても儲からず給料は上がらない。生き地獄だ。  当時の安倍晋三首相は日銀に黒田総裁を送り込み、2%まで物価が上昇するまで大規模金融緩和を続けると政策協定を結んだ。これが「異次元の金融緩和」「アベノミクス」の始まりだ。安倍首相退陣後も続けられたので、黒田路線と言って良い。大規模金融緩和とは、要するにお札を刷り、市場に大規模に流し込むこと。主に銀行が保有している国債を買いまくって、代わりに銀行を通じてお札を市場に流し込む。通貨不足は解消される。アベノミクス初期、劇的に景気は回復した。  しかし、安倍首相は就任1年で消費増税8%をやってしまった。瞬く間に景気は悪化。黒田総裁が追加緩和を行い、10%への再増税は延期したので、景気は再び回復軌道に入った。ただし、劇的な回復には至らず、緩やかな景気回復となった。  当初、異次元の金融緩和は、2年で景気回復して終わらせるつもりだった。副作用があるのだから、当然だ。ところが、ここに景気回復は長期戦となった。
次のページ
本来ならば不要の政策まで使い、なんとか景気回復目前まで来た。ここでやめては、元も子もない
1
2
3
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

噓だらけの日本古代史噓だらけの日本古代史

ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作は、日本の神話から平安時代までの嘘を暴く!


記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ