「耳が聴こえるようになってほしい」“聴こえない親”を持つ小説家が語る、孤独と現在地
「優生保護法」という法律があった。「不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」(第1条)を目的として、障害のある人などに本人の了承なく不妊手術や中絶手術を行えるという法律だ(1996年に母体保護法に改正)。
@daigarashi)は、ご両親がろう者だ。 そして聴こえない親を持つ聴こえる子どもは、コーダと呼ばれる。五十嵐さんはその「コーダ」という立場で情報を発信している。
その最新作が『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)だ。発売直後からSNSで次々に取り上げられており、手に取った。読んでみると冒頭からグイグイと引き込まれる。世間に憤り、小さな優しさに幸せな気持ちになって感情が揺さぶられた。どうしても本人に話を聞きたくなり、取材を申し込んだ。
五十嵐さんは子どもの頃、ご両親に「耳が聴こえるようになってほしい」と思っていたという。同級生には「お母さんのしゃべり方変だね」と笑われ、周囲には「障害者の親から生まれた子供なんてろくなもんじゃない」というようなことを言う人もいた。
「だから、いつか見返してやりたいと思っていたんです。そのためには有名になろうと思い、俳優を目指したこともありましたが、なかなか芽が出なくて。紆余曲折あって、ライターの仕事をすることになりました。地道に仕事を続けていくなかで、たまたまろう者の親について書いた記事が話題になり、本を出してみないかと声をかけてもらうようになっていったんです」(五十嵐さん、以下同じ)
五十嵐さんはこれまでも何冊か家族についての本を出版しているが、本書は、母、冴子さん (仮名)の人生を振り返る1冊だ。1年半をかけて取材した文章は、五十嵐さん本人の話し方同様、柔らかくて優しくて、目の前に映像が浮かぶようだ。少なくともこれは「誰にでも」書ける文章ではないだろう。
本書によると冴子さんは、彼女の家族の中でただ一人「聴こえない人」だった。中学校に入るまで、地域の小学校へ通っており、障害の特性に沿った教育を受けたことがなかった。音が聴こえないのだから、周囲の人が話していることもわからない。ほとんど人とコミュニケーションを取ることができないままだったそうだ。
しかし、ろう学校に通うようになり、手話を身に付け、コミュニケーションの楽しさを知ったという。周囲の誰とも思ったように意思疎通ができない。そんな環境の中、手話を覚え、初めて他人と思う存分にコミュニケーションが取れるようになった。
そして同じく耳の聴こえない浩二さん(仮名)と知り合い、結婚した。五十嵐さんはご両親とのやり取りは手話で行うそうだ。しかし著作の中で「自分は手話が得意ではない」と語っている。
「ひどい話だ」とは多くの人が思うだろう。でも、「もしかしたら自分は生まれてこなかったかもしれない」となったら、その思いはいっそう身近になるはずだ。
ライター・小説家の五十嵐大さん(
耳が聴こえない両親のもとに生まれて
「自分は手話が得意ではない」
ライター・編集、少女マンガ研究家。スタッフ全員が何らかの障害を持つ会社「合同会社ブラインドライターズ」代表。著書に著名人の戦争体験をまとめた『わたしたちもみんな子どもだった 戦争が日常だった私たちの体験記』(ハツガサ)などがある
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『聴こえない母に訊きにいく』 コーダである息子が未来に進むために描く、小さな家族の歴史 |
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