更新日:2023年06月23日 18:27
仕事

「10人中7人がおいしい味」“創業50周年”日高屋会長が語る、生い立ちと創業の苦労

10人中7人が「おいしい味」を追求

――実際にご自身が出店を決めたあとに様子を見に行かれるんですか? 神田:もちろん行きますよ。この前、ある店舗の調理場をのぞいたら「入ってきちゃダメですよ」って怒られちゃった。そこで「実は会長なんですよ」なんて言うと空気が悪くなっちゃうので、「ごめんなさい」って帰ってきたなんてこともありました(笑) ――味のこだわりはありますか? 思い入れのあるメニューもあれば教えてください。 神田:毎日食べられるようなおふくろの味を意識して味付けしていますね。あんまりインパクトが強いと飽きてしまうし、10人食べたら7人くらいがおいしいと言ってもらえるような味がベストだと考えています。メニューは基本、高橋が担当してくれていたけれど、人気があるのはやっぱり「野菜たっぷりタンメン」「餃子」ですね。

創業50年で一番の危機はコロナショック

ハイデイ日高

ハイデイ日高のロゴ

――経営も右肩上がりで増収増益のハイデイ日高ですが、今までで一番の危機はいつですか? 神田:バブル崩壊も大変だったけれど、一番と言ったらやはりコロナの時期。とくに2~3年前は一番大変でした。営業時間も夜8時まで、アルコールも売ってはいけないという制約があって、お客さんが減ってもお店の家賃はかかるし、毎日赤字。朝起きると毎日1000万円、月3億円が減っていく日々で、あのときは眠れなかったですね……。 ――飲食業界はどこも大変な時期でしたよね。どのように持ち直しましたか? 神田:会社の貯金(内部留保)が150億円ほどあったから、なんとか乗り切れたんです。月3億円の赤字だと年間36億円だから、まだ少なくとも2年は持つなと思って。自分が貧乏だったから無駄遣いしなかったことも功を奏しました。ここでも貧乏だった私に神様が同情してくれたんでしょう。  そうこうするうちに、やっと営業規制も緩和していってなんとか持ち直し、結局借金もせずに済みました。
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若いうちに壁にぶつかることはとても大事
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医療従事者として都内総合病院に勤務していたが、もともと興味のあったWebライティング業界に思い切って転身。大手メディアと業務委託契約を結び、時事ネタ・取材をメインに記事を執筆。中には450万PVを達成した記事も。ちなみに国内外問わず旅行が趣味で、アメリカ・オーストラリアで生活をした経験もあるバイリンガル。現在、海外移住計画中
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