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バスケ日本代表“ベネズエラ戦の救世主”は何者か。最終戦でもキーマンに

海外では思うような結果が残せず…

バスケ ワールドカップ

比江島慎はベネズエラ戦で7本中6本の3Pシュートを決めた ©FIBA.com

 Bリーグ発足以前、比江島はNBAのサマーリーグに参加するために渡米している。サマーリーグはNBAで経験の浅い若手やデビューを控えたルーキー、NBAに挑戦する選手が集まる大会になっている。比江島はここに参加するはずだったが、手続きに行き違いがあってプレーできなかった。  それでもこの時期には、アメリカ中から選手だけでなくコーチやスカウト、トレーナーが集まる。試合には出場できなかったが、アメリカのコーチによるワークアウトで新たなスキルと身体の使い方を学び、「短い期間で飛躍的に成長できた」と彼は振り返っている。  ここから比江島は海外を強く意識するようになるが、成功は収められなかった。  シーホース三河を退団してオーストラリアリーグに挑戦したのは、彼のキャリアにとって重要な決断だった。だが、NBAよりはるかにレベルが劣り、経営規模ではBリーグよりも下のリーグであるにもかかわらず、比江島はプレータイムを得られなかった。

挫折から成長し続けて自国開催の大舞台で本領を発揮

 その直後の2019年にもサマーリーグに挑戦。この時はペリカンズの一員として試合に出るも、結果を残せずに日本に舞い戻っている。  サイズとアスリート能力がモノをいうアメリカでは、比江島のスキルとセンスは評価されづらい。さらにいえば、シャイな性格も同レベルの選手がいくらでもいるアメリカで、比江島が抜きんでるには足かせとなったのだろう。  そして、この時期から渡邊雄太が、八村塁がNBAで頭角を現すようになり、日本代表でもチームの軸となっていく。比江島は国内組が主体のアジア予選ではエースであっても、国際大会となるとその座を海外組に譲るようになった。  それでも、比江島は失敗しても気持ちは折られずに、挫折から学んで成長し続けてきた。そして自国開催のワールドカップの舞台で、クラッチプレーヤーとしての本領を発揮した。
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カーボベルデとの最終戦は「勝たなければならない」
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フリーランスのスポーツコンテンツエディター。Bリーグ創設の2016年に立ち上がった日本最大級のバスケットボール専門メディアの専属ライターおよび編集者として取材を行い、Bリーグ、Wリーグ、日本代表、高校バスケや大学バスケなど幅広くバスケットボールを取材。今もバスケを中心に多くのスポーツコンテンツ制作を手掛ける
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