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罪を犯した人間を償わせるには、社会から追放するしかないのか?真の贖罪とは<田房永子×えいなか>

 一度何らかの過ちを犯した人に対し、寛容とは言い難いこの社会。そんな中で「やらかしてしまった」人々が再出発するには、どうすれば良いのか?   モラハラ・DV加害者が他者を尊重し、ケアの概念を身につけることを目指す自助団体「GADHA」を主宰する中川瑛氏と、漫画『キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』(竹書房)などの漫画で話題を呼んだ田房永子氏。  自身のパートナーや仲間を傷つけていた「元加害者」の立場から、その反省と経験について発信を続けている二人が、加害者変容のあり方について語り合った。

自身のモラハラに気づいたのは、パートナーからの最後通告がきっかけだった

謝罪する日本人ビジネスマン

過ちを犯したら、謝罪するだけで済むのか? 一度、加害者側の立場になったことがある二人が「償い方」について語り合った

田房永子(以下、田房):中川さんの著書では、先に『99%離婚』(KADOKAWA)のほうを拝読していたのですが、妻子にモラハラをしていた主人公が、意識や行動を修正していく様子がすごく細かく描かれていました。中川さんご自身の経験に基づいているというだけに、リアリティがありました。  私たちは幼稚園や小学校の頃から、「相手の気持ちを考えろ」と叩き込まれるじゃないですか。自分の心が今、どうなっているのか見つめることを私たちは全く教わってないんです。そこを一つひとつ気づいていくことができるようになると、本当に変わったと自覚できると思います。  中川さんは、どのようにして自身の加害に気づき、やめることができたのでしょう? 中川瑛(以下、中川):直接的なきっかけは、妻と仕事仲間から「もうこれ以上、一緒にいることはできない」と宣告されたことでした。恥ずかしいことに、それを受けるまで僕は自分の所業に気づくことができませんでした。  そして気付かされた後に、助けになったのが学問でした。僕は大学時代から哲学と倫理学を学んでいて、ずっと絶対的な正義や平等が存在すると信じていたのですが、研究をすればするほど、答から遠ざかっていくのを感じていました。正義の定義は歴史や状況によって全然違うし、戦勝国や大国が押し付けて来ているようなものもある。現在、人権と呼ばれているものも所詮はここ200年〜300年間ぐらいの急ごしらえの概念に過ぎない。絶対的な真理はないのかもしれない……そう思うようになったら、その次の段階の話をしなきゃいけなくなったんです。  この私の人生は1回きりで、今、そばにいるパートナーと何を喋るのか。彼女に対してどんな立場をとるのか、すべて私が決めなきゃいけないんだと気づいたんですよね。  それが完璧に正しくなくても、自分が決めて発したことに対する責任と結果は自分が引き受けなきゃいけない。僕がモラハラをやめる上で、「パートナーとどう生きていきたいか」という意思や姿勢が格段に大事だったのです。そうした哲学的な立場の変化もあって、パートナーへの接し方が変わっていったんです。

「モラハラ」「パワハラ」という言葉は、加害を矮小化させてしまう

田房:そうなんですね。中川さんのもう一つの著書『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)は、中川さんが実践してきた、加害をやめてケアをする具体的な方法を理論化しており、こちらもすごくわかりやすくて面白かったです。特に、「モラハラ」という言葉を使わないことを意識されたように感じました。 中川:GADHAが扱っている「暴力」は幅が広く、誰もが加害者になりうるという考え方で活動しています。『孤独になることば』では、それを前提にした対策を提案したかったんです。  モラハラ・DVは大抵、支配的な人や強権的な人がやっているイメージが強いと思いますが、必ずしもそうではない。たとえば、本書では4つの加害事例を挙げましたが、人にいい顔をし続けて、溜め込んで最後にキレる事例についても書きました。 田房:「モラハラ」や「DV」などの言葉は、被害者が使うとすごく救いになる言葉だと思うんですよね。自分が「毒親」という言葉を知ったときも、自分に起きていた出来事がどういうことだったのかを端的に捉えることに役立ちました。  ただ、この本にも書かれていたとおり、レッテル貼りになってしまう側面もある。ずっとその言葉を使ってると、被害者と加害者の関係性から抜け出せなくなってしまう。  親子関係は権力差があるけど、夫婦関係やパートナーシップだと対等な部分が多いから「私は夫にモラハラされてました」とあまりにも言い続けると、そこから発展していない感じがすごくある。 中川:モラハラ・DVという言葉ばかり使うと、そのことを矮小化したり、限定的に捉えてしまうのではと思いました。特に親からの、「あなたのためを思って」という名目で行われる暴力は相当見過ごされてしまう。ですから、いろんなバリエーションを意識して書きました。GADHAに被害者として来ている方々の中にも、これを読んで「これで加害なら、私もやってるかも」って思った人が結構いたと思うんです。
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孤独になる人は、孤独になる言葉を使っている
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる


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人間関係を改善する鍵は、言語化にあった

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