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罪を犯した人間を償わせるには、社会から追放するしかないのか?真の贖罪とは<田房永子×えいなか>

社会から追放することが、はたして加害者の贖罪になるのか

田房:私も、『キレる私をやめたい』を読んだ方から「夫に謝罪しろ」と言われるんです。私が夫に謝罪するシーンを見せなければ、納得しないと。 中川:社会から離脱することが責任の取り方であると思ってる人からすると、そのように見えるようですね。日本社会の不祥事の責任の取り方って、全部首切りじゃないですか。田房さんでいうと、筆を折ることが償うことにされている。しかし、それは僕からすれば真逆で、首を切ったぐらいで責任を取ったことになるとは思えないんです。  たとえばDV加害者の中には子連れで避難されて、逆恨みを募らせ暴れた挙句、自殺する人もいますよね。それは側からみれば加害の責任を取ったかのように見えますが、自己憐憫の最終形ですね。最後の最後まで、加害している。もちろん場面によりますが、相手に最も強い罪悪感を与える強烈な加害と言えます。  僕は、加害者の責任の引き受け方を変えていきたい。だから、自分自身の加害者変容のストーリーを社会に発信する責任があると思っているんです。 田房:私も本気でそう思っています。『キレる私をやめたい』は、「キレちゃってたけど、こういうふうに幸せになりました」とか「キレちゃったけど離婚しなくて済みました」といったタイトルでも成立したと思います。ただ、私はそういう描き方をしたくなかった。きちんと自身のやらかしたことを描くことで、その責任と向き合いたかったんです。  たとえばタレントが何かをやらかした後、それまでとは全く別のジャンル、例えば格闘技やプロレスで世の中に再登場したりするケースがあります。あとはその「やらかした行為が笑えるかどうか」も復帰と深く関わってる。ある程度時間が経ったり、本人が自分で笑いにして話したりすると、それが禊のようなものになっていて、ようやく世間が認めるといった雰囲気がある。本人の内面や行動がどう変わったのかより、「世間が引いちゃうか、引いちゃわないか」が重視されてる。  そもそも、私の最も人と違うおかしなところは「キレる」という恥部をわざわざ自分で描いて発表しているところだと思ってます。でも批判的な人は、そこは変だと言いません。ただ「夫に謝罪しろ」の一辺倒で……テレビのワイドショーとかに影響を受けているのかな、と思ったりもします。 中川:日本には、「償い」と「許し/赦し」についての蓄積された議論や、教育がないと感じています。 【田房永子】 1978年生まれ、東京都出身。漫画家、コラムニスト。第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2012年、母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を刊行し、ベストセラーとなる。ebook japanにて『喫茶 行動と人格』を連載中。 【中川瑛(えいなか)】 DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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